<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="65001"%> 隠された日ロ外交の真実!五井野博士ファンサイト ナノテクノロジーの最先端 球状ナノホーンが作り出す世界 北海道大学 森谷武男博士 プラズマ方式ナノホーン 電磁波遮断 ナノ技研 北村都築 放射能防護服  



 
 

五井野正博士が創価学会から受けた

 
                「被害ファイル2」

1、日露国交50周年記念行事の外務省創価学会員による陰謀工作
  

2、テレビ局3社による
五井野正博士連載記事妨害圧力
3、江戸日本芸術再復興の運動を邪魔してきた創価学会(時系列解説)
4、伝説のプレミアムSF小説「七次元よりの使者」の出版、流通妨害事件
5、「とんずら太田」と窪田夫妻から受けた被害事件






1、日露国交50周年記念行事の外務省創価学会員による陰謀工作

日ロ国交回復50周年記念 
       
プーチン大統領出席予定59周年記念日ロフォーラム

創価学会被害ファイルロシア編ー
~外務省による妨害事件~




事件 ステージ3
(日露友好分断はこのようにして日本側により現場で行われている)

外務省が
五井野正博士に罠を仕掛けた陰謀と策略の被害事実


 
鳩山由紀夫日ロ協会会長がプーチン大統領に会う目的で、顧問
五井野正博士にモスクワへの同行を要請し、あおぽも同乗して一緒の飛行機でモスクワに行った時に事件と遭遇することとなった。
  プーチン大統領に会う前段階として「祖国」の党首が主催する
歓迎パーティー行くところ、日本大使館の職員が鳩山由紀夫会長をワゴンに乗せて別な場所に連れさった事件が起きた。  この事件にロシア政府が緊張、大騒ぎになった。翌日、ロシア国としても安全上、プーチン大統領とバレンニコフ元帥・国会議員、ジェーコフ第一副首相との間で鳩山由紀夫会長に対する処遇について話し合いが行われ、首相官邸(ホワイトハウス)に五井野正博士と鳩山夫妻だけを招待することとになった。

 ところがこれを知った日本大使館は
五井野正博士を外し、在ロ日本大使も同席する文書を作成してバレンニコフ元帥が出した文書とすり替えた、日露間の外交文書を無断で偽造したのだ。
五井野正博士は予定通り首相官邸に向かうが検問所で本日の予定名簿に名前がない。ロシアではアカデミーを横断する天才科学者天才芸術家として有名で尊敬されている存在なために首相官邸をフリーパス!首相官邸ホワイトハウス内でも荷物検査なしのフリーパスで招待ルームでの日ロ間の外交文章を偽造した創価学会外務省とのごたいめ~んとなる。

 第一副首相との会談が予定されていたテーブル席には
五井野正博士の名前がない。そんなハプニングに初めて気づいた招待した側のバレンニコフ元帥はその場で猛烈に激怒。「文書をもってこい!」と大声で事務官を走らせる。
 文書を手にし、
五井野博士の名前が意図的に消されている。「これは完全な偽造文書だ!」だれだ、こんな悪事をしかも私の文書になめたまねした奴は・・だれだ!(チェルノブイリ原発事故収束へ80万人の軍隊を率いて、事故発生後わずか9日で鉛と石棺で完全に放射能拡散を止めてふさいだロシア軍の大きな体の大将の怒りである)その偽造文書は、日本国を代表した機関である日本大使館が公然と偽造したものであったことがロシア国の首相官邸で副首相及び大勢の実力者の前で大恥、大罪、大犯罪を生でさらけだしたのである。(創価学会による外務省と日本大使館の私物化、乗っ取りである)

 
日本大使館が偽造文書を作成したことは、日本本国にバレテ報道されてしまうと外務省ロシア課とロシアの日本大使館の職員たちの身の保身言い訳。一方ロシア側としても、あまりにもひどい非常識に謀略に対して、どういう対処が好ましいか日露外交全体を配慮した対処方法が検討された。
 メリックオハンジャニアン総裁のその場の提案で被害は
五井野正博士が被害として責めないということで、日本国大使館及び外務省ロシア課による日露間の外交文書偽造事件は、大問題にせずに伏せておくことに双方日露間で決着した。(事件の犯人である日本大使館、外務省ロシア課ぬきで)

その後、ロシアからの報告によると、ロシア国の外務省は、日本国外務省によるロシア国側が出したロシア国側の公式文書を勝手に偽造して配布した件について日本国外務省に強く抗議したと報告を受けるに至った。
その報告の後に、松田ロシア課長は
五井野正博士側に対して攻撃に出てきた。(偽造文書問題は大きな問題なのに何にも反省していないのである。カルト教団のマインドコントロールで国家の窓口という意識が全くないのである )鳩山由紀夫会長民間組織の日ロ協会(現鳩山邦夫会長)に五井野正博士を組織から排除しろと、五井野博士を取るか、国家を取るか、どちらかにしろ!さもないと・・・(赤ちゃんプレーで名の知れた創価学会員の俺がどうするか決めるから)と脅迫めいた最後通告をしてきた語気に重みを持たせて述べた言葉が日ロ協会組織全体に広がった。

 週刊新潮2006年6月発売に明らかにされた記事によると、それにしても在ロシア日本大使館や外務省ロシア課は(鈴木宗男氏の証言)不正蓄財と遊び三昧にふけて、ロシア外交を全く省みない。という内容であった。今でも赤ちゃんプレーや本人名で検索すれば記事内容を読むことができる。日本国の外交はこのように創価学会に私物化池田大作の勲章購入窓口としてや米国の奴隷として日露間の 分断で出世が決められたり、大金が遊興費に利用されむしばまれている。


事件 ステージ4
(日露友好分断はこのようにして日本側により現場で行われている)


プーチン大統領出席予定が従米勢力にぶち壊される


 森喜朗元首相(小泉と安倍と同じ統一教会 米軍による間接統治中心派閥なので日中と日露間を分断するのが 米軍からの命令)が鳩山由紀夫元首相、
五井野正博士が影響力を持つ日露国交回復50周年記念行事、日ロフォーラムの参加に消極的な意向であることが事前の打診で日ロ協会が把握していた。
 ところがであるロシア側から日露国交回復50周年記念行事に
プーチン、ラブロフ外相、グレフ経済発展貿易相、ソコロフ文化マスコミ相、他重要閣僚が出席する文書が外務省にロシアから送られてきた。外務省はひっくり返るような大慌て、180度記念行事に対する重要性を初めて外務省が海外から気づかされるという始末。

 その件で森・鳩山会談が行われ、森氏は協力姿勢を示した。
 ところがひと月後、森元首相(統一教会米軍代理)は180度豹変。出席を断り、ロシア側へ日露友好関係を分断するかのような、一度出席の含みを持たせたあとに、間際のタイミングで欠席という失礼な文章をロシア側へ出した。
森氏によるロシア側へ侮辱が日露間友好関係の歩み寄りを分断させた。喜ぶのは植民地支配を独占しエネルギーを独占的に買わせるための偽 ユダヤ米軍のみである。日本の外務省も偽ユダヤの為だけであることがわかった。
日露国交回復50周年記念行事、日ロフォーラムは、プーチン大統領と日本の首相の出席がなくなり、読み上げだけのメッセージに終わった。


事件 ステージ5
(日露友好分断はこのようにして日本側により現場で行われている)


森のドタキャン、ロシア国を小馬鹿にした日本外務省により式典出席予定者をキャンセル誘導!

 北朝鮮が10月9日早朝に核実験を行った。米軍は日本海や東シナ海に臨検する態勢に入り、最悪の場合日本は戦後61年目にして戦争状態に突入する事態を迎えた。今や米軍が水面下で動かす北朝鮮の暴走を止められるのはロシア、中国だけだ。

 そのロシアと日本は今年日ソ国交回復50周年を迎える。丁度50年前の1956年10月13日から19日の間、モスクワで日本側から鳩山一郎首相、河野一郎農林大臣、松本俊一衆議院議員が出席してブルガーニン議長、フルシチョフ最高会議幹部、グロムイコ外務次官のソ連側と、日ソの戦争状態を終結して国交回復を果たした。この幸ある10月19日の記念日に今年モスクワ市庁舎でロシア21世紀委員会・日ロ協会・日ロ・ロ日賢人会議が主催して日ロフォーラムが行われることになった。
 日本側からは日ロ協会を代表して鳩山由紀夫会長(民主党幹事長)、日ロ賢人会議を代表して森喜郎元首相が出席を予定していて、ロシア側からはルシコフ市長が代表として出席予定であった。ところがこの会議に日本外務省は協力どころか妨害とも言えるべき結果を導いたのである。ロシア側からプーチン大統領他大臣3名が出席と知らされた後の外務省の態度は式典を潰しているかの動きを見せる。
 2ヶ月近くたった9月21日に森喜朗元首相が急に理由なく欠席すると不快感を ロシアに与えることになり、それを受けて数日後の9月末頃、日ロフォーラムではプーチン大統領と安倍首相の欠席でメッセージだけにしようと日本側からの提案で潰されてしまい事実上従米の統一教会森と創価学会外務省とで式典は沈められてしまった。

それにより出席を予定していた来賓たちがどんどんキャンセルする事態へとなってしまった。


事件 ステージ1
(日露友好分断はこのようにして日本側により現場で行われている)

五井野正博士が出席するなら外務省は協力出来ないと圧力!松田ロシア課長。


 森喜朗・鳩山由紀夫・鳩山邦夫・河野洋平等の出席者の名前が知らされパンフレットにも森喜朗の名が入っていた。
 6月26日に鳩山由紀夫日ロ協会会長(民主党幹事長)の要望を受けて、
五井野正日ロ協会顧問がモスクワに飛びプーチン大統領側近に日ロフォーラムのパンフレットを渡してプーチン大統領の出席を要請。昨年プーチン大統領が来日の折、鳩山氏の要望を受けて五井野正博士が小泉首相よりも先にプーチン大統領と鳩山由紀夫会長の会談をアレンジしたことからでもある。そしてプーチン大統領が出席するとの五井野博士側へ回答。
 しかし、外務省の松田ロシア課長は
五井野正博士が日ロフォーラムに参加するのを知って「この人も行くんですかこの人が出席するなら協力はできない」と非協力的な態度をあらわに示し、何やら今後大きな行動に出るぞという予感が的中。日露友好に溝を造る大きな事件へと発展してゆくことになる。


ヴァレンニコフ元帥・現国会議員(左)と
プーチン大統領(中央)、
グロモフ大将・現モスクワ州知事(右)。
ホワイトハウス首相官邸にて。
左から、渡辺周衆議院、鳩山夫妻、ジェーコフ副首相、
五井野正日ロ協会顧問、ヴァレンニコフ元帥・現国会議員


事件 ステージ2
(日露友好分断はこのようにして日本側により現場で行われている)


外務省ロシア課課長松田邦紀が

五井野博士に式典に出るなと圧力!




 
週刊新潮記事より・・
松田ロシア課長といえば「赤ちゃんプレイ
」と週刊誌で騒がれた、阿修羅掲示板でも笑われネタの東大卒有名人。そのご当人。在日ロシア大使館のガルージン公使とも親しく、ガルージンの名前を使って愛人との飲み食代の架空の交際費の決算書を作成したり、外交機密費で着物を買ったりしたという。

 モスクワでは売春婦が多い「ナイトフライト」という有名なクラブに松田ロシア課長は出入りしてロシアの秘密警察にチェックされている人物だから、ロシア外交など出来るような人ではないと鈴木宗男氏は言う。


 実際に北方領土で起きた日本漁船の襲撃事件にも何も出来ず、ただ責任逃れで逃げ回るだけの人と評されたりしている。

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松田課長は外務省を支配する創価学会からの指令で五井野博士が日露国交回復50周年記念行事、日ロフォーラムに出席するなら外務省は協力出来ないと式典の中身に圧力をかけてきた。

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「特集」外務省赤ちゃんプレイが招いたロシア「漁船拿捕」の悲
2006.8.31 週刊新潮
(P32~35)

カニかご漁船がロシアの国境警備隊に銃撃され、乗組員の一人が死亡した。ロシア側はなぜ突然このような蛮行に及んだか。実は、この数年、北方領土海域での日ロ両国の関係は悪化し、現場では十分にコミュニケーションさえ取れない状態。ロシア担当の外務官僚たちは、「赤ちゃんプレイ」や「不正蓄財」に興じていたのだから悲劇を招くのも当然だった。


松田邦紀


1982年
東京大学教養学部卒業。同年外務省入省。
大臣官房海外広報課長、欧州局ロシア課長、在イスラエル日本国大使館公使等を経て、2010年8月、在デトロイト総領事に着任。

日露友好を分断し米国の国益の為に日本とロシアとの友好なる公益を上記の記事のごとくぶっ潰した功績でイスラエル公使へ抜擢出世、そして(恐らく日本車リコール騒動をターゲットに)デトロイト総領事に抜擢出世。恐らく日本車のリコールなどデトロイトで多発して日本車はアメ者に叩き潰された事件の勃発も2年前のこの頃です。もし計画的に消費者と総領事の双方が裏打ち合わせしていれば、トヨタやホンダが悪い方へ国側の立場として
導かれる可能性が大きいです。東京大学とは原発事故後の事やこうして自分の立場の為に得られるものなら良心なく何でもやる一例ですが、事がでか過ぎます。

自分以外を自分の為だけにぶち壊しながら自分だけが手に入れる自分以外は弱体化してゆく精神構造がよくわかる。精神異常と化する東京大学卒業生が皆同じやり方を教えられ身につけるそうです。東京大学卒業生が日本や世界を蝕む精神システムが解ります。

日本を蝕む東大:安冨歩・東大教授に聞く

数十人少人数による七十億人の奴隷化支配の為のトリックは、受験義務教育で培われる自分主体の損得で選択をする東大的な自分の立場で国家を売ったり、自分の立場で放射能を拡散したり、金の為に顧客を売ったりできる義務教育の過酷の中により取り込まれた人が洗脳される性質によるものなのです。世界の人々がトリック内に取り込まれることで少人数で七十億人もの支配がピラミッドが完成されるのです。日本人が愛国心、郷土愛でなく3世間を失した時にすべてを失い始め奴隷化します。東大のようにより自己本位に固執したほど・・だから東大こそが日本国内で日本一屑の最先端廃人なのです。だから支配のピラミッドの管理中枢に起用され少人数による奴隷支配を安定させているのです。

しかし、七十億人のピラミッドを十億人に減らそうとすると、土台となっている六十億人が上の 搾取している犯人を目指してもがき始めます。すると数十人は東大などの自分のことしか考えない学歴地位名誉金のごみを使い六十億人に必死で抵抗しようとします。 今、 こういう状況が始まったかともいます。
ニュートリノの真実が解らないから計画段階で最初から破たんしているのです。


つまり、1ドル札に例えるとピラミッドの最下層に目が付いていて上を見つめている。上も下も見つめあっているが、下の方が圧倒的に人数が多い。邪魔なのは、売国代理官僚やマスゴミなど管理中枢になる。ネット社会はこういう風に下が頂点をしっかり監視することができることでしょう。

TWITTER   @buhi2
武田邦彦:この1年。私がもっとも衝撃を受けたのは…この日本「自分の力に応じて一所懸命に生き、それで満足する」という人たちの世界ではなく、「ウソをついても人を犠牲にしても自分だけが得することだけで頭がいっぱいの人たち」の中にいることが判ったことです。


事件 ステージ6・・最後
(日露友好分断はこのようにして日本側により現場で行われている)

五井野博士からアルメニア名誉領事という名誉をはく奪させようとする勢力!


   
五井野正博士は平成7年9月にアルメニア大統領(ノアの箱舟伝説のアララト山の)から在日アルメニア領事の任命を受けて(約17年日本とアルメニア友好の懸け橋としてその任にあたっておられる)そしてアルメニア外務省から日本外務省に五井野正博士の名誉領事承諾とアルメニア領事館の設立の要請の公式文書が出された。
 事前の話し合いでは一ヵ月半位で日本側が承諾するという話であった。しかし、またまた創価学会が外務省職員の中の創価学会員に妨害させた。それは申請してきたアルメニア 国に取り下げさせるための工作であり
五井野博士の名誉を棄損するまったく考えられないような虚偽の作り話を朝鮮勢力としての汚い言葉を使いあきらめさせる工作をした。

 アルメニア大統領は日本の北朝鮮宗教である創価学会がオームのように外務省を侵略し政治力を悪用して、
五井野博士に対して総攻撃をしていることを心配され、ロシアのエリツィン大統領(当時)に相談を持ちかけた。エリツィン大統領はこの創価学会についてはオウム真理教とモスクワ大学での講演で同じ時刻同じ場所同じ人物が申請したことで名前と表向きの顔が違うだけで両宗教の運営者は池田大作であることを知る立場にいて知っていた。
そして、エリツィン大統領はカルト教団がモスクワ大学など浸食しないように宗教法改正を行った。
 
それから日本の外務省は、アルメニアとの国交回復を断固拒否し続けている。
創価学会は、
五井野博士排除という目的のためならアルメニア国との文化交流や日本からアルメニアへの技術提供など闇に葬られようがぶっ壊されようが平気なのである。

17年の歳月を経た今も未だに外務省のせいでアルメニア共和国は日本と国交回復が出来ず、大使館も領事館も設置されないままなのである。

 日本外務省内の創価学会員や買収メンバーは、
五井野正博士の国際的な貢献舞台や評価や賛辞に対して、毎回プログラムで定められたかのように相手国への脅しや報復を含んだ。五井野博士から手を引けという妨害が繰り返され続けているのです。
創価学会により、今までどれだけの非人道的な妨害が
五井野正博士に対して行われてきたか、その事実が世界に知らされたなら世界はアッと驚くに違いない。
 
それは大天才に覆われ続ける迫害という言い伝えの条件と一致していると・・・。

(左から)
■総理大臣官邸で、コチャリン大統領との首脳会談を行う小泉元総理
■平成13年12月19日(水)から22日(土)までの公式実務訪問賓客として、随員とともに日本を訪問するアルメニア共和国ロベルト・コチャリン大統領とともに、飛行機で日本へ向かう
五井野教授・博士
■平成7年9月、アルメニア大統領(右)と会談し在日アルメニア名誉領事に任命され、日本外務省に公式に通達された。




詳しくは・・・・

2012年7月号
五井野正
(科学者・芸術家・ウイツピー総合研究所所長)
連載第28回
科学から芸術ヘ〈28〉
隠された日ロ外交の真実










2、テレビ局3社による五井野博士連載記事妨害圧力

青いポストあきたにて五井野博士が執筆連載中だった「ゴッホのひまわりの復活」を中止するようにテレビ局3社が書面で通知してきた。中止しない場合番組表提供はさせないという脅迫を加えてであった。


ゴッホという江戸浮世絵芸術社会の日本を褒めたたえた芸術家について、五井野博士はフランス国からシュバリエを与えられ国際的評価を与えられた。その日本人が国際評価的にも芸術的にも誇らしい芸術論文を「紙面に掲載するな!」とテレビ局があおぽに警告文章と番組表掲載ストップの文章を突然送り付けてきた。あおぽが読者にお届けしている記事についてテレビ局からなぜ圧力が加えられなければならないのか。人権侵害をこのように侵して?



ゴッホに関するシリーズ論文掲載・・・紙面でゴッホに触れた芸術論文のどこが他の会社から文句付けられる理由が存在しているのでしょうか?・・・創価学会から命令されて。上から命令形で五井野博士を広めるなという、マスコミ界への圧力は横並びにこのように規制のメスが創価学会独断の思惑で全国統一されてしまう一例。番組表を掲載させないかというと実際に面と向かって「あなたはカルトだから・・」と吐き捨てたそうです。秋田県民でもある人間に向かって人権侵害の発言を秋田のテレビ局は平気でする。これらの人たちが秋田県の公共電波を牛耳っているのが事実なのです。
これは日本の縮図でもあり、NHKもどこも創価学会から
五井野博士を取材しないように35年以上規制され続けています。そのことをテレビ取材など窓口になった時に取材者が配信できなかった理由をこれまで何度も聞かされてきたのです。


五井野博士は2010年1月号でこの三社を人権侵害で訴えて全国へこの三社がした実態を白日のもとにさらせて浄化を?検討され弁護士に相談すると大手マスコミは好きじゃないと・・バックに創価学会がいる状況を知っているので自分の損得勘定で断るものばかりであったそうです。創価学会は弁護士、裁判官など多くの会員を弁護士会に抱えているため弁護士会で得られる便宜が失われたり、大勢の弁護士や裁判官から何をされるかわからないそうです。現在創価学会はそこまで法曹界を固めていることが伺い知れます。

創価学会は、五井野正博士の著書を出版していた創栄出版の社員を買収し乗っ取り、時には薬物を飲み物に混ぜ飲ませ事務所をクーデター占拠。それから五井野博士の本を絶版してその後、出版社を清算してしまった。また、ゴッホの所有していた浮世絵やゴッホの日本文字を解読して、ゴッホのユートピア日本の絵を描いた絵の展覧会が世界の国立、公立美術館で行われてきたが、その展覧会に対しても執拗に妨害し、当時、山口組直参(じきさん)の後藤組(憚りながら参照)を
使って五井野正博士何度ってきました。







3、江戸日本芸術再復興の運動を邪魔してきた創価学会(時系列解説)

~~浮世絵の再評価について~~
    あおぽWEBより、(加筆あり)



ステージ1(銀座)

五井野正博士(雅号・歌川正国)がゴッホの日本文字を解読し、そのゴッホの想いを絵画に表現し、展覧会を最初に開いたのは、平成4年(1992年)7月、東京銀座の銀座アートミュージアムにおいてでした。
その展覧会は大きな影響を与え、この展覧会の後、浮世絵の中に実際の人物が登場するCM広告が数多く流れるようになった。

ステージ2
(信州、福岡市)
さらに翌年の平成5年の夏、信州博覧会で開催された
五井野正画伯の企画の展覧会では、2週間で5万人以上の入場者を数え、暑い中、展覧会に入場する為の人々の長い行列が起きた。
有名人や各国から美術関係者が来、米国や西アジア・ヨーロッパ等の美術館で展覧会となるきっかけとなった。
この展覧会の目玉と言える「鏡の中のホッホ」は福岡県立美術館で直後に名品として展覧された。




ステージ3(福岡県筑豊)
この時、この「鏡の中のホッホ」が入館者の評判となっていることを知った同じ福岡県内の田川市美術館館長が歌川派門人会会長であった
五井野正画伯に直接会って展覧会を開きたいと申し出があった。
出展の費用経費全てを美術館側が出すと、館長のたっての願いを受け入れ、福岡県田川市美術館で平成6年1月4日~30日まで3週間強の展覧会を開くことになった。

展覧会の準備作業中、突然に美術館側から五井野画伯企画の作品をはずせと暴言を述べてきた。美術館に入った一本の電話によって、館長が急に態度を変えたというのだ。既にポスターや入場券も配布していた矢先にである。
このような常識を逸した申し入れに対し、
五井野画伯企画の作品のどこに問題があるのかと冷静に聞きただすと・・・美術館の係長は館長とは違い全く問題ないと公正に事実を評価する立場に立った為に、理由を返せない館長側は開催は続行で決定した。しかし、その後、五井野画伯の企画作品を外したポスターや入場券を別に作ったり、記者会見を延ばしたり、様々な形でこの展覧会の邪魔をする館長の立場としては狂ったような行動を取った。
展覧会を開きたいと言ってきた館長が、たった一本の電話で突然ひるがえって中止を求めたことは、その電話の主が美術館に大きな影響をもつ人物であり、展覧会を外部からの圧力で豹変し妨害してきたことがだれの目にも明白となった。
後に主催者が展覧会妨害理由について美術館係長に問うと、館長はその電話の主は隠し続けたが、理由として、「ゴッホやゴーギャンのファンがたくさんいるのに、ゴーギャンを裸にして、あれでは愚弄していることと同じだ」と、館長は美術館係長に伝えたことを係長の好意で無念の思いのこちら側に館長の妨害理由を伝えていただいた。
もし、その理由が本当とすれば、その問題の絵だけを外すなり提案すれば良いのに、展示作品全てを外せと要求したことは単なる開催中止へ持っていこうとする思惑としか考えられず、
五井野正画伯をターゲットにした一連の創価学会による妨害である。(その後創価学会があからさまに正体を現す)
五井野正画伯の展覧会に対する妨害圧力が、この福岡県は筑豊の田川の地から創価学会により始まった。

秋田のテレビ局3社から論文掲載停止要求など、全国各地で起きている一連の
五井野正博士に対する創価学会による組織的な妨害事件に拡大していった。

この様な様々な嫌がらせにもかかわらず、田川市住民の一割以上にあたる人々が会期中にお越しいただき、美術館始まって以来の黒字と美術館係長にも喜んでいただけ記録的大反響となった。
 ゴーギャンを愚弄していると感じて非難した人は、館長(教育委員会出身)の他に誰もいなかったと関係者は語った。
 そして市街地から離れた辺ぴな場所で開催したにもかかわらず、展覧会が大反響だったので、読売新聞社が驚いて今度は別な美術館で展覧会を開きたいと申し出があった。

ステージ4(宮崎)
 そこで2~3ヶ月後という異例の早さで宮崎県都城市立美術館で行うことになったが、またもや展覧会の準備を進めると、田川市美術館と同じように又ここでも圧力がかかったのか、突然に
五井野画伯企画の作品の展示は認めないと言ってきた。
 しかし主催者側の強い抗議によって今度もその要求を撤回させたが、美術館側の非協力姿勢と態度と豹変の中で引き返せない作業に追われ展覧会が開催され、それでも田川市美術館での展覧会と同じように大好評で終わった。

ステージ5(デンマーク、アルメニア、エルミタージュ)
 そして3ヶ月後の7月にはデンマークやアルメニアで展覧会が行われ、9月には米国で展覧会が行われた。
翌年の平成7年の夏には、ついにロシアの国立プーシキン美術館に続いて、世界三代美術館の一つエルミタージュ美術館で開催され、現存画家では世界で初めての展覧会が開かれたと評価される程の快挙を成し遂げたのである


ステージ6(ラトビア、ウクライナ、ロシアプーシキン、ロシアエルミタージュ)
~ふる里村情報誌の編集長として、五井野博士は日本文化の再生を提唱~

五井野正博士は、平成7年(1995年)7月ロシア国立プーシキン美術館、同年9月国立エルミタージュ美術館での展覧会や講演会等で、ゴッホ研究の国際的な芸術家として認知された。
博士の学術研究は、ゴッホの日本文字解読や、浮世絵コレクション400点の科学的調査から、パリやアルル時代のゴッホ絵画への影響や組不揃いの作品の完全再生に大きな評価を受けた。
ロシア国立芸術アカデミー名誉会員にも選ばれ、日本人現存作家では建築の丹下建三氏と博士だけ。
ゴッホ研究のきっかけは、それより8年前の1987年、日本の大手保険会社がゴッホの14本のヒマワリ絵画を総額58億円で買ったことに由来する。
博士はその時ベストセラー小説家として、又自社ビルを持つ出版会社の会長として雑誌「ふる里村情報」を発行していた。

ステージ7(生活の質的向上、浮世絵芸術を生活文化へ)
当時浮世絵といえば春画というイメージが強かった為、学術的研究が日本でなおざりにされ、浮世絵の評価も価格も低かったが、幸いに
五井野博士は北斎の肉筆画や版画を密かに安く買い集めることが出来た。
北斎の研究やコレクターの立場から「ふる里村情報」9号(1987年6月10日発行)で、北斎の「富嶽三十六景」のコレクションを紹介し、浮世絵が印象派に大きな影響を及ぼしたこと、高額なゴッホ絵画落札に西洋文化一辺倒を警鐘して、日本文化の再評価を強く主張した。


東京渋谷の塩とタバコ博物館で開催された北斎展に皇太子御夫妻(現天皇皇后両陛下)が浮世絵鑑賞に訪れられた。
戦後、北斎の春画の研究本が数多く出版され、北斎の悪いイメージの中で、北斎を日本が誇れる世界的な大芸術家として正当に評価された現天皇皇后両陛下の御見識と勇気は将に日本文化の再生の出発点となったと博士は語った。
皇太子夫妻の北斎展の御鑑賞のニュースに注目が集まり、それによって1988年は、将に北斎ブームが日本国中に沸き起こった年であり、サザビーズのオークションでも北斎の作品価格が一挙に5倍も跳ね上がるなど、海外でも浮世絵に対する評価が大きく変わった年になる。
そのブーム前に、既に北斎の未公開秘蔵の本物の肉筆画等は、
五井野博士がコレクションしてしまった後だと。

9号の北斎特集の前に「ふる里村情報」8号では五井野博士自らが創作した絵画友禅着物を歌手の中村晃子女史に着せて発表した。雑誌を見た皇后陛下の十二単衣の担当者と言われる人から出版社に特別な評価のお褒めの電話が入ったり、また、中村晃子女史に九州一とも言われるある偉い人から雑誌を見て“晃子ちゃん、すごい着物を着たね”と言われた。五井野博士の北斎コレクションや芸術作品や「ふる里村情報」購読者が上流階級の贅の極みを知り尽くした方々にも読まれてていたことが反響となって返ってきたのである。

ステージ8(ここまで芸術が来れた原因)
五井野正博士が1974年から始められた、空き缶やタバコのモク拾い運動、富士五湖の汚染問題等の環境美化運動、リサイクル村やふる里村運動等が世界(EUの環境大臣など)から後に200兆円以上の経済効果をもたらしたと言わしめた。
1982年7月に創刊された「ふる里村情報」の表紙は西伊豆の「若葉の里」である。
五井野博士の母親がここに住んだ時、天皇皇后両陛下が、近くの松崎町堂ヶ島の洋ランセンターにこられた事があった。
地元の世話人から勧められ、
五井野正博士のおかあさまが出向いたところ、天皇陛下から母親にお声がかかり、「どこから来たのですか」と質問されたけれども、五井野博士のおかあさまは山中の辺ぴな地名を言うのが恥ずかしくて、もじもじしていたら、皇后陛下が優しく微笑み掛けてくるので、母親はその眼をじっと見つめて、優しい眼だったよと後に博士に語った。博士は「何で若葉の里から来たと言わなかったの。天皇陛下はお母さんの返事をずっとまっていたんだよ」と・・今でも残念だと言う。
天皇皇后両陛下のあたたかく優しいお気持ちが、博士のふる里村運動に大きな心の支えとなったのは言うまでもない。


日本に世界中にリサイクルという言葉や習慣がなかった頃、五井野博士はリサイクルという言葉と文化と仕組みとシステムを行政(知事)や企業(コカコーラ、新日鉄他)にも空き缶を拾わせて、国会に招かれ演説し日本国に世界で初めてリサイクル法案を成立させました。ユダヤ 支配者たちがほくそ笑む公害大国日本が環境立国として再復活し、経済的恩恵は当時だけで200兆円を軽く超えているとEUの環境大臣にロシア国に世界各国のアカデミーに五井野博士の巨額なる恩恵だと言わしめました。しかし創価学会号令の下、政府や企業マスコミは、原発反対主張者でもあった五井野博士を世の中から抹殺することで五井野博士に対してこれらの恩恵の態度を妨害に加担という人権侵害という形で恩恵の態度と姿勢を示しました。
ひと言もお礼を言わずに当初200兆円に群がる政官財学の姿は宇宙にもこだましたのではないでしょうか?僕個人からすれば因の果としてこれらがすべてある未来に一瞬にして消えて無くなる100点満点の行動を政官財学のみなさんは受験生のごとく未来の自身のプログラム確定を表現したように僕には見えました。自分で選んだ彼らの未来を貪じん痴・・故にです。

次の地球を良くするための慈善事業は、日本や世界を江戸文化で原発事故など科学に被災することから循環リサイクル社会の芸術文化再興を世界に広めて行かれました。チェルノブイリ被災者救済活動などでは外務省内の創価学会員など創価学会により妨害を受け救済を最後まで続けることができないように創価学会に病院ごと買収されました。後には、後藤組長が書いた「憚りながら」にでる創価学会から渡された暗殺依頼リストのひとりに亀井静香さんと共に
五井野博士が入っていましたことが著書に書かれる前に話題となって国会議員、永田町周辺にもリストのコピーが出回り知れ渡っていました。これが日本国が創価学会の指示に従いマスコミや経済界がなした礼儀作法を知らない出し抜きで金を得て若者五井野青年をはき捨てて見せた現実です。

これが日本の政菅財学界の礼儀作法のお手並みでした。僕の配信開始2年後に原発事故が発生し、今年はずっと解決策は
五井野博士しかできないという具体的世界一の技術者と五井野博士のブレーンたちと言う僕の発信もむなしく無視をされ日本国は、礼儀知らぬものが国の舵を取ればどういうことになるのかを知らざる得ない段階へ自ら好き好んで移行し、もちろん期待した自由報道協会も無視、IWJも無視ということで、(放射能拡散を止める気がない)心無きこころの反映一色に今後が決定したと僕はひとり書き続け訴えてきたこともむなしくガッカリしながら思っています。つまり、これからが政財官学+創価学会がしてきた妨害人権侵害の写し絵の本番となると最初から想定していたことがこんなに長く長すぎる延命にいよいよある意味花咲くとき、意識が正常に戻る為のプロセスが始まる時と思います。


五井野青年がたったひとりで始めた日本国のためのことが当初日本だけで200兆円を軽く越す、世界を 算出すると延命の数十年分??。
五井野正博士が福島原発事故の解決を日本国民も現地も現場の采配も科学力もグランドデザインもすべてできる唯一の最高の人道的科学者である人なのです。世界は、世界の科学者や有識者たちはそのことを知ってします。創価学会が日本国民の放射能汚染の解決の道を閉ざし、日本国民が創価学会のさせたいようにさせて自分たちの呼吸や内部被爆を自分たちで好んで選択していると創価学会を放置している現状に未来が思えるのです。この結論を日本国民自身が好き好んで選択してきたことを3次元的な瓦解を目の当たりにしなければ2次元的な受験優劣で人間のキャパシティを感覚と感性を封印した愚かな無知無能を2次元脳みそが3次元で受験無恥無能の実態を形で体感することとなるのではと思います。


ステージ9(歌川派門人会設立、浮世絵芸術に的を絞り走り出したあの頃)
デンマーク、スウェーデン、ノルウェー他・・
五井野博士は北斎ブームの火付け役になった天皇両陛下が浮世絵にご理解されたことに感激し、印象派に大きな影響を与えた浮世絵、特にゴッホやモネが集めた浮世絵コレクションを再現する事によって日本文化の再評価を国内外に示すことを決意した。
有志と共に新日鐵の子会社であった電炉の東海鋼を再建して筆頭大株主になっていたが、その株が北斎ブームの1988年の時に400円前後に値上がったので、有志にも呼びかけ株を全部売って浮世絵を全世界から買い集めた。
ゴッホの浮世絵コレクションのほとんどが歌川派門人の浮世絵なので歌川派門人の作品を中心に集めた。
ゴッホは歌川派工房に憧れてアルルに画家達の共同工房を作ったが、その道半ばで挫折した。そのゴッホの夢を受け継ぐのと日本文化復興の為、すたれた歌川派を再興しようと平成2年(1990年)8月に博士が歌川派門人会を創立して初代会長となった。

平成6年(1994年)7月、モネが集めた2枚の大首の写楽を含む印象派に影響を与えた浮世絵を展示する“印象”(インプレション)展をヨーロッパで開催するに至った。
その反響は大きく、ヨーロッパ各国の美術館が開催希望を申し込み、毎年ヨーロッパで展覧会を開くことになった。もちろん、日本でも大手新聞社が“印象”展の開催を希望してきた。局長クラスの人達と展覧会の会場選定など話し合い、全てが順調に進んでいた。
ところが突然に平成6年1月に田川市美術館で開催された展覧会での
五井野正画伯の絵画に対する妨害行為と同じ様な圧力が掛かって何と中止に…
平成6年(1984年)6月24日から8月7日までデンマークの工芸博物館で“印象”(インプレッション)と題した浮世絵展が行われた。
この展覧会の目玉は、モネが持っていた2枚の大首の写楽とまったく同じ図柄の写楽の浮世絵2点と、今まで北斎名の役者絵はないという学説の中で、
五井野正歌川派門人会会長が発見した北斎の役者絵の初公開だった。

東京・太田記念美術館で開かれたヤン・ブール浮世絵コレクションの展覧会のコレクターで、国際的に著名なヤン・ブール氏は、この北斎の役者絵を見て“大きな新発見”と驚いた。
“印象”展は平成6年6月28日発行の、産経新聞全国版の一面トップニュースになる等、国内でも話題になった。


“印象”展の特徴は、浮世絵の初期から晩期までの作品を年代順、作者順に並べ、メインに歌川派の初代・二代豊国(今の学説は三代としている。以下“通称三代”と表記)の傑作品を中心に、歌川派門人達の傑作品等162点を展示。さらに印象派画家達が持っていた浮世絵と同一図柄の浮世絵も数多く展示され、学術的に非常に価値の高い展覧会となった。
例えばゴッホが模写した原図の「名所江戸百景/亀戸梅屋敷」や、ゴッホ画「タンギー親爺の肖像」2点の背景図の二代豊国(“通称三代”)画「三浦屋の高尾」や歌川広重画「富士三十六景/相模川」、さらにゴッホ画「包帯を巻く自画像」の原画とも言われている「今様押絵鏡/梅の由兵衛」等や、モネが持っていた歌川国芳画「安政卯十一月二三日両国橋渡初之図」等があった。


又、五井野正会長の学術研究によって、ゴッホ美術館のカタログでは2点一組の作品として登録されていた「源氏磯遊び」が実は3枚一組の作品だったと平成5年7月13日付の産経新聞で一面トップニュースとなったその話題の浮世絵も展示された。

さらに、広重の東海道五十三次と比較すれば遥かに芸術性が高い初代歌川国貞の「東海道五十三次」のシリーズの内の「蒲原」や人物の背景にデザインを施した、デザイン豊国の傑作品も展示された。
開館セレモニーでヤコブセン館長は、浮世絵がヨーロッパ文化に大きな貢献を与えてくれたことに私達は感謝しなければならないと熱弁を振るった。
続いて
五井野会長は、浮世絵の歴史や浮世絵が印象派にどのような形で影響を与えたかをわかり易く説明した。

この展覧会の現地での反響は大きく、デンマークのみならず、隣国のスウェーデンでも新聞に大きく取り上げられ、ビヤタワイス内務大臣や著名芸術家・ジャーナリスト・大企業重役等が何回となく訪れたほどであった。
そしてスウェーデンやドイツ、英国からも“印象”展の開催の打診が次々と来た。
又、評判を聞いて、展覧会に駆けつけたノルウェーの瀬尾大使(当時)は、自分の在任中にノルウェーでも展覧会をぜひとも開いてくれと頼んできた。
そこで大使の要請を最優先して、急遽半年後の平成7年2月17日から4月2日まで、オスロの市立ステンネルセン美術館で“印象”展が行われることになった。


しかし、大使要請の日・ノルウェー親善とはいえ、日本政府、文化庁等からデンマーク同様にノルウェーの“印象”展に一銭の援助がないのは、なんとも不可解な話。
大手商社のヨーロッパ駐在支社長が、現地での評判や“印象”展の素晴らしさに驚いて、1~2年前位に行われた日本現代工芸展は一億五千万円の金をかけたのにまったく不評だったが、あなた方の展覧会はこんなに好評で日本の誇りを与えてくれたと感謝してきた。
平成8年(1996年)8月アイスランドのコパホーグル市立美術館で開かれた“印象”展では、大統領も出席し、その後、
五井野博士一向はレイキャビクの大統領ハウスに特別招待され、芸術や環境問題等1時間半に渡る会談を行った。(写真⑮)
大統領は
五井野正博士の博愛精神とその多才の能力に驚き、アイスランドに訪れた高円宮御夫妻に五井野博士のことを話された。
高円宮様は「日本にそんな人がいたのですか」と大変驚かれたそうである

この様なヨーロッパ各国で評判の“印象”展は、当然日本でもマスコミの話題になり、大新聞社が“印象”展の開催を希望してきた。
そこで平成6年8月、大手新聞社幹部三人が長野県大町市に泊まりこみまでして、
五井野正会長と“印象”展の開催の打ち合わせをした。
会談中、エルミタージュ美術館で展覧会開催の予定を告げると新聞社側は非常に驚き、契約時から一面トップで大特集したいと申し入れがあった。
翌日、編集員一人がさらに残ったが、次局長達は興奮して帰社した。ところが、9月以降になって話し合いが突然に無くなった。
どうしてかと歌川派門人会側で不思議がっていると、3ヶ月位過ぎた頃に大手新聞が宗教ページコーナーを設けて、某宗教団体のPRをしていると揶揄される記事が週刊新潮に載った。
なんと、そこに“印象”展開催を希望して大町市まできた次局長の名前が、この宗教団体のPR企画者として掲載されていたのだ…

平成6年(1994年)6月24日からデンマークで“印象”展を開いている際中に、7月1日から西アジアのアルメニア共和国のアルメニア国立美術館で「ゴッホの浮世絵コレクションと歌川正国」展が同時に開催された。(写真①)

アルメニアは今から50万年前、世界で最古の石器時代の人類が出現した国で、黒曜石を使用する点で同じく日本最古の長野県諏訪市の霧ケ峰遺跡と類似する。
さらにエジプト文明が最古の文明と今まで教科書で教わったが、今ではメソポタミア文明が七千年前と最古の文明となり、その高地に当たる場所がアルメニアで、ノアの箱舟が降り立ったアララット山の麓である。(写真②)

アルメニアは今から50万年前、世界で最古の石器時代の人類が出現した国で、黒曜石を使用する点で同じく日本最古の長野県諏訪市の霧ケ峰遺跡と類似する。
さらにエジプト文明が最古の文明と今まで教科書で教わったが、今ではメソポタミア文明が七千年前と最古の文明となり、その高地に当たる場所がアルメニアで、ノアの箱舟が降り立ったアララット山の麓である。(写真②)

五井野正歌川派門人会会長は、その吉報にすぐ応じると、今度はロシア政府関係者から、モスクワの国立プーシキン美術館で先に開いて欲しいと打診があった。
歌川派門人会主催の“印象”展と「歌川正国とゴッホの浮世絵コレクション」展は、開催と同時に米、欧、旧ソ連邦とたちまちの内に世界が注目する展覧会となったのだ。

ステージ10(創価学会が会員を大金で買収し、国内外で大暴れ)
日本の大手新聞社、2社が、“印象”展と「歌川正国とゴッホの浮世絵コレクション」展の評判にすぐに聞きつけた。
例えば、デンマークでの“印象”展とアルメニア国での「歌川正国とゴッホの浮世絵コレクション」展が終わった次の日には、もう某大手新聞責任者三人が長野県大町市の歌川派門人会本部に
五井野正会長を尋ねてきた位だ。
そこで、さらにエルミタージュ美術館での展覧会開催に驚いて、契約時点から一面トップで掲載し、独占的に十回連載で大特集したいと意気込んで帰ったのだが、9月に入ると、事件がロシアで起きた。
先ず最初の事件は歌川派門人会の事務局員だと名乗る二人(とんずら太田と偽六代豊国)の日本人がエルミタージュ美術館を訪れ、関係をぶち壊す不穏な言動を美術館側に対して起こした。
もちろん偽者で、どこかの組織の妨害行為でしか考えられないが、国際電話で事実確認を取ったピオトロフスキー館長はこの妨害者を追い返し、難なく事は終わった。
この様な妨害にもかかわらず、歌川派門人会とエルミタージュ美術館との間で展覧会開催の契約が1994年9月に無事に行われた後、スタッフがプーシキン美術館との契約の為、モスクワに移動した。

ステージ11(宿泊ホテルの部屋に侵入されドリンクに毒をいれられる)

アカデミーの高名な科学者達が利用する特別なホテルにスタッフは泊まれたが、スタッフの北村氏の部屋の隣に、同じタイミングで日本人カップルが泊まり、さらに同じフロアにスタッフの部屋を取り囲むように数人の日本人が滞在した。
日本人が宿泊するはずのないホテルにである。
すると数日してスタッフの北村が冷蔵庫にあった飲み物を飲んだ後に、「胃が上下左右に伸縮し、苦しくて立ってはいられない状態で、七転八倒の苦しみ」の被害にあい、
五井野博士発明の万能薬GOPを飲んで一命を取り留めたという事件が起きた。
さらにもう一人のスタッフも同じ飲み物を飲んで同じ症状を起こしたのである。明らかに毒物によるものと考えられた。

当時のロシアはオウム事件が発覚する前で、モスクワの地下鉄の入口にはオウムの信者達がビラを配っていた。
オウムにスタッフが狙われる理由はまったくなく、今回の事件は別の組織の者と思われるが、排他的な某宗教団体(創価学会)が1970年代からソ連と関係を持っている国柄であり、特にモスクワ大学はその某宗教団体の創価大学と友好関係にあったのだ。
ゆえに
五井野正博士がモスクワ大学で講演は創価学会の圧力がかけられできなかった。がしかし、この当時、何故オウムの麻原がモスクワ大学で講演出来たのか?!創価学会とオウム真理教は一体だったのであるとネット上では、今や常識として動画配信されている。


さらに、オウムがロシア政府から排除を受けないでロシアでの活動やロシアの高官と何故会うことが出来たのか?!
この排他的な某宗教団体(創価学会)はオウムだけには寛容なのか、それとも噂にあるようなオウムのバックなのか。
オウムが起こした坂本弁護士拉致殺害事件や松本サリン事件など、何故警察が初期捜査に鈍いのか、あるいは誤認したのか、日本のマスコミが沈黙して語らない、あるいは語れない驚くべき事実がいつ明らかにされるのだろう。
しかし、海外の捜査機関やマスコミまでは日本のように牛耳られていない為なのか、フランス政府ではこの創価学会という某宗教団体をオウムと同じにくくりカルト教団と国家指定した。
歌川正国こと五井野正博士は、この事件を境に創価学会により拉致や命を狙われる事件が次々と起きるのである。



世界三大美術館の一つである国立エルミタージュ美術館は、旧エルミタージュ、小エルミタージュ、新エルミタージュ、そしてエルミタージュ劇場から構成されている。
今から、300年前のロマノフ王朝の女帝エカテリーナが築いた隠れ家(エルミタージュ)の宮殿に、古代ギリシャ、ローマ美術からレオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントの作品、19世紀を代表するゴッホ等の印象派絵画や、マティス、ピカソ等の20世紀絵画など、総数270万点とも350万点とも言われる程の美術品が所蔵されている。
総面積4万6千平方メートル、1000の部屋があるとも言われ、部屋をつなげると全長30
kmと、その大きさはパリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館をも上回る。
ナポレオンが敗退した時に、その先勝祝いに建築された「アレクサンドリア1世」の間で、
「歌川正国とゴッホの浮世絵コレクション」展が平成7年(1995年)9月5日から11月9日まで行われる予定であった。
現存画家では初の展覧会が開催される歴史的快挙とか、日ソの冷戦構造から未だに脱却出来ない、今の日ロ外交を一挙に変える大チャンス等など、外務省筋の関係者からも大いに期待された。

ステージ12(現役に生きている現存画家として開催された世界で唯一の画家。
                    そして、エスカレートする創価学会からの攻撃)

世界三大美術館の一つである国立エルミタージュ美術館は、旧エルミタージュ、小エルミタージュ、新エルミタージュ、そしてエルミタージュ劇場から構成されている。
今から、300年前のロマノフ王朝の女帝エカテリーナが築いた隠れ家(エルミタージュ)の宮殿に、古代ギリシャ、ローマ美術からレオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントの作品、19世紀を代表するゴッホ等の印象派絵画や、マティス、ピカソ等の20世紀絵画など、総数270万点とも350万点とも言われる程の美術品が所蔵されている。
総面積4万6千平方メートル、1000の部屋があるとも言われ、部屋をつなげると全長30
kmと、その大きさはパリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館をも上回る。
ナポレオンが敗退した時に、その先勝祝いに建築された「アレクサンドリア1世」の間で、「歌川正国とゴッホの浮世絵コレクション」展が平成7年(1995年)9月5日から11月9日まで行われる予定であった。
現存画家では初の展覧会が開催される歴史的快挙とか、日ソの冷戦構造から未だに脱却出来ない、今の日ロ外交を一挙に変える大チャンス等など、外務省筋の関係者からも大いに期待された。

昭和57年12月に、朝日新聞社会面に掲載された五井野正氏が編集長であった「ふる里村情報」“アルプスの10万円ロッジ”の記事が、新聞社始まって以来の大反響となり、1日6000本以上の電話が朝日新聞本社に殺到したという。
国民のマイホームの苦しみを代弁した夢のある記事として国民に勇気と夢を与えたのだが、それ以降、どういう訳か五井野氏を取り上げなくなったという。


それまで論壇や社会運動の記事が毎年数度となく掲載されたにもかかわらずである。
その代わりに
五井野正博士の弟や五井野博士と常に一緒に行動をとっていた吉永氏が「人」の欄に掲載された。
五井野正博士・教授(ラトビア共和国国立芸術アカデミー名誉博士、ウクライナ国立芸術アカデミー名誉教授、ロシア国立芸術アカデミー名誉正会員)が某宗教団体の創価学会からの妨害圧力を常に受け、報道の自由を奪われていることはマスコミ界では周知の事実となっている事が、朝日新聞の幹部からの発言からも伺える。

五井野博士への圧力は、文化庁などの行政の分野にも及ぶ。
皇室とも交流のある、その事務局長はプーシキン美術館とエルミタージュ美術館の展覧費用は文化交流基金の援助を受けた方が良いとのアドバイスをしてくれ、それに従って申請した。
ところが、最低限の経費費用として1000万円を申請したが、何とその結果はたったの100万円。
飛行機代数人分にしかならない、そんな涙金でしかも文化交流基金支援という文字をポスターやパンフレット等に必ず掲載せよという、役所的なお達しである。
海外で、不評の文化イベントでさえも何千万単位で援助する制度にもかかわらずである。
「申請の金額は全部出ないから、それを見越してもっと金額を大きく見積もるんだよ。しかし、それにしても100万円とはあまりにも少ない。おかしい」と圧力が、かかったことを認識したそうだ。
この事は
五井野博士や歌川派門人会の文化団体だけの問題ではなく、某宗教団体を批判する文化団体全てに言えることかもしれない。
この事件は、日本の文化行政が某宗教団体(創価学会)に牛耳られているという事を端的に表した実例ではないだろうか!






4、伝説のプレミアムSF小説「七次元よりの使者」の出版、流通妨害事件



新聞掲載:(日刊スポーツ記事により、昭和54年(1979年)5月18日


この記事は、七次元よりの使者の注文が来なくなる事件が発生。書店と出版社の間を取り次ぐ取次店の東販や日販からの毎日の本の注文が急に来なくなったので、七次元よりの使者の当初出版社の暁書房の社長と一緒に東販や日販に出向いて行くと担当の人が注文伝票の束を見せて「この本は昨年からずっと毎日注文が来ているんですが、出版社(暁書房)に本がないということで毎日注文伝票を捨てているんですよ」と返事が返ってきた。
なんと?書店から取次店経由の出版社への毎日の注文伝票が昨年からずっと捨て続けられていたのである。

そこで客の立場として各書店に注文してみると、「この本の出版社は倒産しました」とか、「この本は絶版になりました」とか返事が返ってきたのである。

こうして創価学会により、出版社は倒産したとか、絶版したとして、各方面に各分野に潜んでいる人口の数㌫の数いる創価学会により、流通の遮断。出版妨害の被害にあわされてしまっていたのである。
この事件を聞きつけた日刊スポーツの記者さんが詳細を調べてくれて、倒産したとか絶版したと風潮した元の人物たちが創価学会員による仕業であることが調査の結果、確認され明らかになり、新聞記事として宗教団体の姿なき人物による妨害と圧力と題して、「七次元よりの使者」出版妨害の記事が新聞記事にされたのである。
その新聞記事が上記添付のものである。



5、「とんずら太田」から受けた被害事件


~~太田がしたこと・・項目~~

■ニセモノを創作しでっち上げ金品をだまし取る
■2580万円を着服し逃走する
■ロシア大使館に侵入し、式典に狂気乱入。大騒ぎしてぶち壊す
■歌川派会員自宅に押し掛け脅迫と脅し
■五井野博士の歌川正国の画号を使用禁止の裁判を仕掛けてくる
  
■とんずら太田が連れてきた六代豊国はニセモノであると裁判所が判断する
■ニセ六豊ととんずら太田は七代豊国を仕立て歌川派門人会をマネて妨害対抗する全国組織を展開する
■ニセモノ六豊がとんずら太田の許可なく反省の手紙を画伯に送った後に謎の溺死。
Kとその妻





■ニセモノを創作しでっち上げ金品をだまし取る

歌川派門人会設立以前より10年以上も
五井野博士や出版社やふるさと運動に関わってきた「とんずら太田」は、ある日、創価学会と組んだと疑われるような大胆不適にも歌川派と縁もゆかりもない老人を連れて来る。平成2年に歌川派門人会にその辺のじいさんを六代歌川豊国として、この人は六代豊国ですよ~~っとやって連れてきたのだった。(後でわかったことだが創価学会からの資金が潤沢に支払われたらしい)

まさかとんずらオオタが、その辺のじいさんをこの人が六代豊国なんてウソをつくことは誰にも創造ができなかったようです。これまで仲間として毎日行動を共にしてきた「とんずらオオタ」だから、この人がそういう人だということを一度信用してみようかとのごとく、ニセ六代豊国を招待客として受け入れたそうです。歌川派門人会に本物だと信じさせて侵入した偽六代歌川豊国の活動の援助代金だとして多額の金品を要求され歌川派門人会はこれを払い続けさせられた事実があるそうです。


■2580万円を着服し、また逃走した「とんずらオオタ」!
これまでの数十年共に活動してきた「とんずら太田」は、平成2年長野県の家と土地の取得費、その家の修復費用を
五井野正博士監修でふるさと村に協力する若者たちで出しあった「家と土地の会」から借金しつづけた。
平成7年時点での総額はついに2580万円借り続けた「とんずら太田」。その家を(仲間意識の学習のため信用を重んじて無抵当)勝手に売却して(家と土地の会は善意でやっている理想郷を目指していたので抵当権を設定していなかった)とんずらオオタ個人のふところに着服した。一方、会には、借金は全額返金した風に計算ずくに騙し、その上、更に江戸時代の浮世絵を87枚以上盗んで行方をくらませた。

2580万円を盗み、浮世絵87枚を盗み逃走したとんずらオオタは、その数ヵ月後の翌、平成8年に偽六代歌川豊国を中心とした団体を発足(創価学会の資金も潤沢に得られたと噂が濃厚)つまり
五井野博士の創設した歌川派門人会をニセ六代を主流として演出して、否定攻撃する団体をまったくのニセモノのじいさんを使い偽六代歌川豊国を使って妨害活動を盗んだ金+創価マネーを使い開始した。
事実無根な攻撃目的で突然に多くの歌川派門人会会員に内容証明書を送りつけ、会員の隅々まで動揺と混乱をきたせる暴挙をして、暴れまくった。


■ロシア大使館に侵入し、式典を大騒ぎしてぶち壊す
同じく平成8年、
五井野博士のロシア芸術アカデミーアカデミシャン受賞式典が行われた際に、とんずらオオタ再出現。歌川派門人会の者と偽って授賞式会場となる在日ロシア大使館(東京都港区)に偽六代歌川豊国と創価学会に雇われているテレビクルーを連れ立って現れ、祝賀ムードの会場をぶち壊し暴れた。それは五井野博士の名誉を傷つける虚偽作りごと中傷の大暴れであった。このとんずらオオタによる大騒ぎに大使館主催の授賞式は中止となった。

後日、別会場でロシア大使を招待し、ロシア大使館主催のパーティの予定がとんずらオオタによりぶち壊され歌川派門人会主催のパーティーとなった。

翌平成9年のとんずら太田は、
五井野正博士の複数の地位名誉役職を持つ有力なる知人をターゲットにし、五井野博士の名誉を傷つける虚偽中傷の文章を送付しづけた。
またとんずら太田は、外務省に押しかけ
五井野博士と海外との国際的な協力関係を断絶させる目的で五井野博士の名で大声で怒鳴ったりし、精神異常極まりない異常な行為を繰り返すにまでに至った。
最初の1年は、計画的な2580万円の盗み、翌年にはニセモノを仕掛けてぶち壊し、ついにはただ大暴れするだけに変遷していった。(噂ではこれまでの潤沢な資金が創価マネーより供給されたという話が出ているが現在は創価マネーがとんずら太田に出ていないそうで、かつてのニセ豊人脈からも、そうスカンされ無視されているという噂を関係筋から出ているとの話である)


■歌川派会員自宅に押し掛け脅迫と脅し
また、ついにとんずら太田は歌川派門人会会員の自宅にも突然押しかけ、歌川派門人会や
五井野博士の虚偽中傷をあれこれ作りごとでまわり続け
さらに暴力団の山健組の名前を出し、善良な一般生活者である会員やその家族を脅し襲い震え上がらせた。


■五井野博士の歌川正国の画号を使用禁止の裁判を仕掛けてくる
偽六代歌川豊国に至っては、とんずら太田と共に
五井野正博士に対し「歌川正国」という博士の雅号について「歌川姓を名乗るな」という身勝手極まりない名称使用禁止なる訴えを起こした。
裁判で何年もとんずら太田とニセ豊国は苦しめた。裁判の判決は、六代歌川豊国の正当性ないと決め。とんずら太田とニセ豊国の訴えを棄却した。 これでニセ六代豊国は、ニセモノであることが逆に明らかになる。

■六代豊国は自作自演ニセモノであると裁判所が判断する


裁判所による決定判断でニセ六代豊国は、間違いなくニセモノであることが明らかになる。そして、この裁判でとんずら太田とニセ豊国が妨害と暴挙と2580円の盗みと逃亡の繰り返しも明らかになる。(潤沢な裁判資金も創価マネーだと言われている)



■ニセ六代豊国、とんずらオオタは七代や弟子を全国組織を展開する
とんずら太田がニセモノ豊国をでっち上げ被害を与え続けているほんの一部分

浮世絵を研究する学会の常任理事に正当性を語らせているが、本人の常任理事はそこまで関与した覚えがなくとんずら太田に悪用されている状況を把握できていなく困惑している状況である。常任理事はとんずら太田を勝手に名前を利用した被害を名誉を傷つけられたことを明らかにしておく方がよいと思われる。

・ニセ六代豊国の弟子として2名の人物がニセ六代豊国のまたニセであるニセ七代豊国の弟子として系図によって継承とうたっているがこれは裁判でもあきらかになったとおり、でっち上げの七代豊国であるから、そもそも江戸時代の歌川派からの継承は不可能であるので、とんずら太田からこのような被害を受けていることを自覚して事実を明らかにし把握して判断に至るべきではないだろうか。もし、万が一襲名料とかを取られていた場合。詐欺となるのではないだろうか。



書籍「歌川派・・(ニセ六代豊国はほんものだよ!自作自演、自費出版カタログ)・・・・」とんずらオオタ責任編集。

上記をとんずら太田は出版し、それを持ってニセ六代豊国を本物六代豊国だと大勢を騙し続ける。現在も弟子を取ったりして襲名させているそうである。もし代金や金品を作家から徴収しているならば裁判所がニセモノと判断したあきらかなる詐欺と言えるのではないだろうか?警察に相談してみる可能性もあるかと思われる。
また、各県の支部員名など元門人会の名前を使用していますが、勝手に使用した名前がある可能性がひとりふたりは、あるいはもっと多くある可能性がある。国立国会図書館など閲覧できる。もし許可なく名前が使用されていたら問題である。


■ニセモノ六代豊国がとんずらオオタの許可なく反省の手紙を画伯に送った後に謎の溺死。

裁判に完敗した、偽六代歌川豊国は、その後、
五井野博士に手紙を送ってきた「私は貴方とけんかはしたくない。私を支援してくれる宗教団体(創価学会)がいるので、そこに入ろうかと思う」などと手紙を送り、これまでの展覧会破壊や裁判攻撃など、画策したのは、自分ではなく、とんずらオオタの方だと送ってきたのだ。すべてはとんずら太田と創価が悪いのだと心境と仲間売りの手紙を送ってきた。(一老人である自分がいつのまにか聞いたこともない歌川とかいう豊国とかいう六代目だと画策に乗せられたことを(白状する手紙を画伯は現在も保管している)裁判に負け真実はやっぱり、ただのじいいさんであることが裁判で明らかにされ判決が下され死後が怖くなったのだろうか)

その数ヵ月後、風呂場で溺れ窒息死(溺死)して死んでいるニセ六代豊国が発見され新聞やテレビで報道された。死ぬ因果関係について、憶測を呼んだ。疑わしいものがあるのではないかと?口封じのため?宗教団体?などによるものではないか?あるいは親しかったいつも二人三脚だったニセ豊国生みの親である人物(とんずら太田)が部屋への出入りが自由であっただろうから重要な何らかの事実を知っているのではないか。等の憶測を呼んだ。警察はその点を十分に調べることができたのであろうか。疑問が残る。



K(窪田和人)とその妻
出版社乗っ取りの主要人物のひとりとして・・・
Kとその妻は平成3年ふる里村文化の会から家の総改築費用を借りた。
にもかかわらず無断で家を売却し、借りたお金を返さなかった。そのため返却を求めての裁判となり、結局K夫妻は罪状を認めた。
またK(窪田和人)は
五井野博士が創立・会長を勤めていた創栄出版(株)を、当時の社長(博士の弟)が重い病気になったことをいいことに、
社員でも会計員でもないのに出版社の会計と事務を取り仕切り、不当な会計操作を行った。
さらに平成7年12月出版した「科学から芸術へ」の出版業務妨害を行い、社員らに薬物を飲ませ、翌年1月には突然無断で出版社ビルに鍵をかけ、占拠した。
そして、創栄出版を創価学会の手ほどきを交えて乗っ取り、五井野博士が育て取り扱っていた人気雑誌、沖縄離島情報を現在も何食わぬ顔で連載を続け、出版社の社長(林檎プロモーション)として、犯罪後も平気で山梨県北杜市において居座り続けている。



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創価学会が五井野正博士から一念三千論の論文を奪い攻撃し続けるまとめ(ブログ旅は道)


五井野正 批判を糾す!

五井野正(ごいの ただし)博士へのネットでの誹謗・中傷に対し、永年の博士ファンである筆者が、調査・反論します。


被害を受けてきた最初の段階での全体像(被害ファイル1)




















































                                                            
               
 
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