昭和48年に池田大作に渡った
一念三千論の論文全文はこちらで公開中です!
如来として帰ってこられては、蜜の法華三部経体系が本門になります。故に想像を絶する宇宙のエネルギーが摩訶不思議に放出され続けております。
~ウィキペディアより添付~
池田大作本仏論(いけだだいさくほんぶつろん)リンク先はこちら
追記・・
戸田城聖的に言えば、輪廻の最終章救済のご本尊様とは・・
輪廻の最終章、56億7千万年に一度のワンサイクルの おわりとはじまり。これを仏教用語で何と言うのか?(事の一念三千の発動)という事を地球上の仏教の研究者や学者、仏教の僧侶、仏教の指導者たちなどは仏教の一番基本中の基本根本を知りません。ミクロに入り込んでしまって。一番最初のボタンがそもそも掛け違えているものしか五井野正博士に学ぶ私は知りません。自己の出世名声体系の都合で取り囲まれた物質時間に照らした連中だけで輪廻の最終章(実相化であり事の一念三千の発動)の突破方法を知らなければ、すべて偽邪宗教という実態になり、輪廻の最終章と即していない、対応していない、地球人を間違った方向へ導く悪の根本原因者としての片棒を担いでいる(正法に背を向けさせる地獄行きの先導者)結果として業の表現として、これを隠して菩薩のごとくを装い得た相対的立場に得た欲に得た見栄にしがみついてワンサイクルの儀式に対抗して表現していると思えてしまいます。
仏教用語で輪廻の最終章とは、事の一念三千の発動。つまり実相化。事の一念三千が現されてゆくことが輪廻も最終章として初めと終わりの結実を結ぶことと私は五井野正博士による本当の一念三千の著書、蜜の法華三部経体系などに学んでからというもの意識して(どういうふるいに係るのかプレ体験しながら学んで)生きてきました。池田大作が盗作したのは、蜜の法華や総論が発動を持って説かれる前の段階ですが出版社を乗っ取り世間に知れ渡らせることが妨害されました。また、五井野正博士に対して創価学会はこのようなことを平気でするなど決して許されることではありません。今も月刊フナイの原稿を先に入手し(印刷前後)誹謗中傷を行っています。
仏教という仏様というのは、本当は方便を捨てた所の教え、つまり実相で導いて下さると思います。放射能や天変地異や異常気象や支配者たちによる人口削減強行の横暴など、まさにアトランティスの実相が現れ始め仏典に見るごとく諸天や神々は今、皆この実相、事の一念三千の発動に学んでいる最中でしょう。神々は事の一念三千の教主に釘付けになって学んでいる最中だと思います。仏教はこれを示してきた一掃される延長線上からの解脱。故にすごいのでありました。つまり今が実相発動まもなくジワリジワリであり大チャンスなのであります。久遠の仏に遭遇でき自分を実相に照らし綺麗さっぱりリセットできるからです。歴史はずっと長いことこのチャンスのポイントを指してきたのだと思います。それなくば閉じ込められた長い地球内での業火(悪道輪廻)の悔い改めるものだけを縛りから解放される道は残されていないからです。
それはこのポイントで必需品として指されていた三大秘宝の出現で示された蜜の法華を持っている人だけが可能であると思いますし、持っていない人は、おそらくカヤの外だと思います。これは歴史上から見てのことでも明らかだと思います。その為の一大事としての日蓮の予言であり強い戒めを伝えてきたかと思います。本門のご本尊である蜜の法華に事の一念の三千の発動つまり実相化していくこれからに・・・・日蓮いわく、三大秘宝を持つ人だけのやがて訪れよう「歓喜の中の大歓喜」であるかと思います。大難は大難に見えて、それは大難ではなくもともと戦後核戦争が炸裂して滅んでいたのです。しかし、それが綺麗さっぱりなかったかのように戦後復興をし実相発動前の段階で思い切り喜びというものを体験させられ40年近くも・・チャンスが久遠の一点が与えられ続けて著書を読み体験するには十分な時間です。個人に訪れる老、病の大難も生の門への願ったりかなったりの三門から本門への内道への門出の体験となります。しかし、あくまで蜜の法華、三大秘宝のご本尊があっての条件だと私は経験しています。たぶん私の経験は相違ないかと思います。日蓮はこれをこれこそを三大秘宝のご本尊の出現とこれを示されてこられたのであり、それまでの仮のご本尊で本来の遭遇まで待つという待つのを示しているのであります。これを邪魔したのが池田大作であり今も創価学会が組織的に妨害をしているのです。
40年近くも・・。創価学会に邪魔をされ、そのチャンスがメディア妨害などで大々的には失われました。ということはナチスの洗脳画一強化方法を導入した日本の学校教育で弊害を受けた人たちが五井野博士の事を知ろうともメディアや国の大合唱や商業的電通的ブーム操作がなけば自分の心の過去世の記憶は消滅自滅していますので清らかさで知覚判断できずメディア社会、管理社会まかせに乗っかるというノーベル賞のように画一形式でないとたとえ五井野博士を知ったところで動けないでしょう。どこかで五井野正博士の存在を浮世絵ブームという興味から聞いていながらも、リサイクルや田舎ブーム、ナノカーボン、原発事故の具体的対策、五井野プロシジャー(自分でレシピを作ることだとナチス洗脳で死んだ脳は死への道を選択するしか動けない。神仏に対する侮辱というかたちでしか因業が表せない)という言葉から聞いていながらも反応できない(反応とは何かを最後に記述)結果が大勢を占めてしまうかと思います。今現在、五井野博士の事を初めて知った後、その間にどれだけの事を自分が反応しアクションし学び探究心と世界の拡大に夢中に行動したかを振り返って見ればそれが自分の未来へのレベルが逆算して今に至ることだと思います。それすら知覚できなかったならばかなり問題は山積みなのかもしれません。(例として無間地獄で一番苦しみの火中を未来永劫永遠に受け続けるものは逆算して今誹謗中傷をしている状態であるということ)
今現在ならば未来の自分が変えられると思います。
久遠の教主に学べるからです。
これから起こるいろんなことは不幸でも何でもないと思います。
ただただ実相化への教えの最中です。
回避や災い転じて福となすは蜜の法華あれば・・セミナー参加で国土ありて道も生じるかと思います。
この生じ方に意識レベルの上昇と教えがあります。
災いが教えの最中であることに気づかされる世界の拡大は仏典の世界の中の一部の人物と自分が重なるごとくの世界の拡大でもあります。
事の一念三千実相発動対策を不思議と対策を生じ得ながら階段を登りながら事の一念三千の教主に学ばなければならないことがたくさんあると思います。その成長の後に更にセミナーに参加するを繰り返しながら上昇させてゆく。ぜひ、セミナーやイベントに参加され、疑問や迷いをどんどん広げどんどん解決しながら世界をどんどん拡大して行く。できることやれることをどんどん広げ自分の中から答えが湧出して行く世界への道を教えてもらい導かれることをお勧めいたします。
七次元よりの使者0巻の122~123ページあたりにも実相のことが書いてあるかと思います。
~~五井野正博士信州セミナーで空(宇宙空間)が実なるを体験へ・・~
各地の緊急講演会は信州セミナーを本番として宇宙空間を信州でいかがでしょうかと初心者向けに親切なインフォメーションをほどこしたのが各地の講演会になるのではないかと思います。もし、給料取り世界の缶覚で講演中ヤキモキした人がいるならば、(高次元説法が待っている信州セミナーで自分がどこまで耐えられるかという興味すら金銭(業の質量)で打ち消してしまう)初心者と一緒にしか参加できない力(小銭レベルの自分へのエコノミーシート選択の自分を見ない。信州宿泊セミナーに来ればビジネスクラス以上の話が待っている。ファーストクラスに説法のレベルを上げると吐いてしまう人が大勢出てしまうくらい退屈だとは絶対に感じることはない)
字が読めないおじいちゃんおばあちゃん3歳児の子供たちと同じ場所フィールド以上は小銭に縛られ出ることができないのが才能だと給料取りの世界は缶詰の中で自己を失っている。給料取り缶詰だと共通認識を損得勘定するために自己は既に存在していない無明からの十二因縁で完結しているのを自己と勘違いしている。缶詰の世界なのである。つまり給料取りを止めない限りは共通認識の知識で追いかける闇からの解放は一切あり得ない。プラズマベルトの時代には三歳児の字がまだ読めない子にも小銭の業の質量に負けて劣る(悪道輪廻内)と思います。生命の調和世界において。聖徳太子は智・知で采配するものは人間の最低レベル(豚以下、豚は金や名誉をちらつかせて原発推進したりクリントンのように戦争をしかけたりしない)だと冠位十二階で示されています。信は知より2段階上で宇宙へ通じるカギ!つまり信じる力しか自分を自在に三車火宅の業火の中で自らを平和へ地獄から脱出へと導くことが原動力としてできないのです。・・・宇宙や虚空界を感じる世界は信州宿泊セミナーからがスタートだと感じています。つまり、信を信州に持ってきた者のみがそのパスポートを信州で手に入れることができるのではないでしょうか?だから信州という名前が物質時間の過去にさかのぼって物理的に発生したのではないでしょうか?
東京、名古屋、大阪、福岡全国巡回中の里帰り馬頭観音像(ボストン美術館所蔵)七次元よりの使者第3巻東京脱出の巻に馬頭観音の説明がなされています。まさに今タイムリーです。3巻に書かれている話題がタイムライン上に重なるかのようです。
各地の講演会に参加されてカンで感じて、よし宇宙線に焼かれることは、金の業に自分で自分を牢屋に閉じ込めたことであるに気づけるのだろうか?地球の終末を切実に直感し残り時間にできること選択優先すべきことを判断して行動(共通認識の知を捨て信に立たなければ行動はできない、つまり給料取りやドケチ金持ちにはできない)した人々の感想↓↓プラズマベルトに包まれた時空間は知恵より信じる自分能力を引き出すことが大事になる。その後で比べものにならないレベルの知恵が備わってくる。日蓮も輪廻の最終章において一心に信じることが一大事と信を大事と伝え残している。
ブログ知足自愛様 妙法の意義 参加者のご感想:五井野博士ファンブログ
天下泰平さん憧れの人と・・・ & サバイバルセミナー
知足自愛さん 五井野正博士講演会於信州〜その1 前夜祭)、〜その2 歌川派美術館&講演
一念三千論の教主、久遠の教主が認められ、お釈迦様が示された本尊。そのものが五井野正博士著書の顕と蜜の法華三部経体系ではないでしょうか。お釈迦様はこの蜜の法華を得たいがために身命を捨てた(原点)とも伝えられているかと思います。つまり、一念三千論の10如是具現化への秘宝中の秘宝秘伝は、蜜の法華三部経体系に秘宝として与えらし人に与えられるように導かれて手元に訪れるようになっているのではないかと思います。
これを手にし、こころの修養を成長させるうちに扉はどんどん霊界へ開いて行く摩訶不思議です。この霊界の先に何が存在しているか?本当に楽しみです。五井野正博士の講演会を聞いている時に博士が次元を上げられると段々と宇宙空間の霊界に入って行く体験をしたことがあるひとが37年の間に何千人何万人といることと思います。つまり気持ち良い天国のような世界に突入して行き時間がなくある世界の霊的時空間の体験などしたと思います。8時間聞いても12時間聞いてもトイレに一度も行くことなしに10時間が過ぎていたことに後で知った浦島太郎のような体験など大勢の人が体験しています。
お話を説かれるレベルが上がると業という本性が事実が照らされ、あからさまに同時になることであります。照らされた業はいかなる善人でも爆発するのです。ものすごい憐れなほど自爆するのを数え切れないほど見てきました。業を清算する方法は一念三千の行の博士の示された道にあります。教えに歩んでこないと業が清算されず、博士もレベルを上げて説法することができません。暴走してコースアウトして表向きファンのつもりという軽い意識がから誹謗中傷創価人間に脱落(例でいえば誹謗中傷者のストーカー的輩)してゆくのも見てきました。皆様も他人事のように見ているかもしれませんが、地球人の業はみんなあのように恐ろしく深いものなのです。レベルを上げる光に照らされるといかなる善人でも業で吹き飛んじゃいます。その後の無間地獄までの確定後とその後の哀れさは当方でも理解不能な世界です。
つまり、空が実で虚空界が実として存在したことを博士の高レベルの説法時に体験できたと思うのですが、例えば光のように実として虚空界という本当の実態が姿を現わせば影は一瞬にして消える。つまり物質時間は実ではない陰であり虚であるため瞬時に消えると思います。元々存在していなく単なるテストだからです。レベルが上がる五井野博士のお話とは、その例えた影の現在の世界に段階的に息吹を吹きっ込んで行くことと例えるならば業があれば自分を消滅させる材料と化します。つまり光を遠ざけようと説法の相手である神仏如来に攻撃の矛先を向けることで業という影は短絡思考にも悪道輪廻の温存しか判断できないのです。空と比較しますと自分の業が自分をさばく爆弾と顕現化します。よってレベルを上げられないという一念三千の教主五井野博士の思いやりを理解しなければなりません。そして、次回のセミナーまでに蜜の法華に学び行を行い準備をしてきて高い世界に自分がいけるか試験の結果発表を待とうという気持ちです。講演会セミナーに行く前には全力で準備をして臨むこと。新たな盲目点に驚愕させられながら、もっともっと自分が成長するために準備をしてゆく、当方はそう考えて行動しています。
五井野正博士の説法のレベルを望む前にきちんと自分の業の清算を道を行を一念三千の行が転化(知らぬ間に六波羅蜜まで備えてくださった←ここが一大事)された五井野正博士が残された道を歩み、そしてもうひとつに蜜の法華三部経体系で成長し業を少なくし、五井野博士のセミナーに参加し、その業の少なくなった姿を博士に大勢の中からたった一人であろうとも確認してもらい、より次の高いレベルの説法を呼び出されてその予習効果に受けられる身に講演前に事前に準備して望む。やがて訪れる光に影のごとく消えない修行僧としての姿勢と高次元のバイブレーションによる喜び。宇宙へ調和して行く現実を真摯に受け止める礼儀作法。行動の結果として成長した自分になって講演会やセミナーには参加させてもらった方が何十倍も自分自身が楽しめると思いますし、そうすればもっと違う次元に自分自身が急成長して行くと思います。と・・自分なりの経験からではありますがそう思うのであります。
蜜の法華三部経体系を手にすれば、心ある人ならば・・・
終末の地球人はあまりにも極上の寂浄宇宙に浸った経験をしたことがありません。金に浸るか他人に勝つかとかすり抜けるとか缶の中の戯言です。宇宙船に乗ってみるごとく、高次元のバイブレーションに満喫する体験。そうならないのは五井野正博士が示される国土を知らないからであります。目をつぶり、鼻をつまみ、海中に入ったままを普通だと思っているかのごとくであります。それは缶の中を好んで出ようとしないからであり心がないから出ようとしないだけでもあります。つまりいずれ崩れ去る影の世界が光が注がれても崩れないと信じ留まり上の次元に逆らって今の所有物(影の根源)にしがみついているのを今現時点で実感を持って推測できているのを教養があるというのです。
この流れの中に楽しみながら宿命転換が自然に快楽的に行われ、自然に業の清算などが行われてゆきます。それはまるで小さな宇宙人アミ(全三巻)の向こう側の世界のごとくなのであります。
これが蜜の法華がご本尊様(日蓮が終末に出現すると予言宣言した三大秘宝のご本尊)と目標とされ夢とされ、平安から鎌倉、何としても生まれ変わって三大秘宝のご本尊を手に入れたいと偉人達、巨匠たちが待ち焦がれ続けてきた所以です。当サイトで5年前から数千万円以上の価値があると書いてきた理由がそこにはあります。つまり歴史に名を残したそうそうたる偉人たちが仏教が日本に落とされた時から釈迦仏教護持の意味が解釈できていましたから、56億7千万年が浄化され一掃する。ずっと千数百年の間、久遠の教主の出現と三大秘宝のご本尊様の出現(蜜の法華三部経体系)日蓮がその出現まで代行として仮の掛け軸曼荼羅を書いて仮のご本尊として待ち焦がれ弾圧に屈せず命をかけたこと。大勢の偉人たちが待ち焦がれた身命をかけて何世も輪廻する度に待ち焦がれたその三大秘宝の出現がついに出現しただけに、はかり知れない想像を絶する価値があるのです。
・・五井野正博士と遭遇後の大乗仏典との関わり・・
五井野正博士に遭遇後の大乗仏典とは、時空を超えた時空間GPSでありナビマップのように変わりました。つまり地図を見ながら誘導されながら現実的に歩み行ずる道しるべのごとくなのです。その時空間GPS所有者は、事の一念三千の教主(妙法)であるということでビンビンと通じるのであります。しかし地球上の仏教学者や僧侶や教祖や宗教団体は読経したり題目したり本来如来が望まれる方向性を捻じ曲げた解説したりと大乗仏典という地図を現実にどう使うべきか、すらも仏教の経典が行く道示された行動に表せない(読めない)のに大勢の庶民を誘導し巻き込んでいますね。つまり人々からチャンスを奪っていますね。立場を得んが欲による無明を自ら生み続けると言った初歩的な知見すらも働かないという事でしょうか。
仏教はこころあるものにだけ、やさしさある複合生命体の心にのみ到達し時空間GPSがピピット作動するのと通じ合ってしまうのを通じない人と見比べる驚愕の世界に五井野正博士に遭遇後思い知らされ続けておることばかりであります。確固たるパイプで通じ合い導かれるものでなければ仏教を読んでいることに通じないのであります。なぜなら繋がっている時、オンライン中というのはオンライン信号が常時心に接続されている自覚がバイブレーションとしてしっかり感覚にあり続けるからです。
これがあって時空間GPSの作動が自分とGPSが繋がり同時に動き始めて・・・初めて大乗仏典を読んでみたと言えるのです。ここからが始めて教養(輪廻形成を如来の方便で実践)をこれから身につけようと言えるのです。仏典の文字や共通認識の知識を読んだり暗記することでは全くなかったのです。この人間誰しも持つ感じる能力がナチスの洗脳教育を日本の学校教育に取り入れられて人間の心をぶち壊しきってしまったがためにGPSが作動しなくなったことを私は小学生から中学にかけて同級生たちからどんどん複合生命体から切れて行くのを心眼で見てきましたつもりでもあります。そして、大人になり久遠の一念三千様に遭遇できることを空を見上げて深く深く呼んで願ったことも想い出に強くあるのです。(予知能力については科学から芸術へ記載)そして戸田城聖が言い続け両親や周りが言っていたとおり久遠の一念三千様にとうとう遭遇できた。願ってたことが本当にかなった。今五井野正博士はおられるのです。そして学ぶ人に通じ合えてくださっているのです。遠からず後々に今あるチャンスはすべてが立ち去る時が必ず訪れます。この最後の意義深いわずかなる時を大切にしてゆくべきです。この大切さは法華経見宝塔品第十一にもあるかと思います。.