<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="65001"%> 五井野正博士が池田大作から受けた一念三千論 再検証 論文盗作被害 二ビル 太陽系第十番惑星 フォトンベルト プラズマベルト 東海東南海地震 富士山大噴火 ナノホーン     




創価学会による組織的なネガティブキャンペーン日本国民にとって多大な利益を得たリサイクル法案。朝鮮人宗教だから日本人がよくなることを阻止しようとする。これが実態だ。


空き缶運動、国会でリサイクル法案樹立へ尽力した事実批判に対抗する。

空き缶拾いリサイクル運動で勝ち取ったリサイクル法案。日本がリサイクルを常識化し文化として樹立して行くまで五井野博士は闘士と汗と根性でやさしさという思いで戦い抜かれた。その恩恵に現在時間が流れ活かされているのにもかかわらず批判を平気でしている恐るべく悪魔性に驚愕した。当方はねつ造批判者に対して本気で怒っている。  



~空き缶運動~


五井野博士の運動と町田市の条例とを、年代の後先だけで優劣をつけて批判バイアスをかけているが当時の町田市の場合はゴミ回収という事だけであり、リサイクルというものではなかった。回収だけをしていたなら日本国中の行政は町田市を取り上げなくても全国どこでもやっていることである。何も矛先を立てることではありません。リサイクルによってという地球全体の事を時間が失われる3,4次元の観点から未来の自滅を計算しての救出方法に自ら汗して苦闘の結果綺麗な日本という結果を日本国民の生活の為に勝ち取られたのであります。

当時、五井野正博士がリサイクルという言葉を地球上で初めて提唱しリサイクル運動を始められた頃、人々にあるいは企業が具体的に実行していたか?ということでありますが批判者は町田市が先にしていたかのようにデタラメを掲げて五井野博士の批判を展開しているのです。

例えば掃除をするという約束事を標語で決めていても実際に掃除をしなければ綺麗になりません。

つまり、コカコーラも新日鉄も当時の東京都知事も空き缶を拾ってリヤカーで詰めかけて五井野博士が乗り込んで話し合いの場に乗せて企業側や行政側にも庶民一人ひとりにも地球人全体で一緒になって公害の原因になっている缶をリサイクルする責任を・・つまり空き缶が最後に道路や地球という大地に車から、自転車から、歩きながら、ポイポイ捨てられていたのを誰もどうしようとはしなかった。どうすれば良いのか?こころをひらくことができなかったのでズルズル・・と汚れて環境汚染問題で大勢の生命が病魔に襲われていた時代でした。

つまり、掃除をすることを取り決めても、だれもしなかった結果、空き缶をリヤカーに何十台も満載して企業に買い取らせるように訪問できたのであります。五井野正青年に人間としてのこころが感謝が僕にはこの青年に対して沸いてきます。

なぜなら、見えないからという事で恩恵を受けてないという、思いを封印したり感じなかったり批判したり言い張る人間には次の世の未来は絶対にないことを僕自身が感じて知っているからです。




では論を進めていきます。

まず、日本のごみについての歴史について。


もともと江戸時代は循環型社会でした。
そのため、ゴミ問題などは存在しませんでした。


この認識は、今では一般的ですが、少し前まではそのように考える日本人は少なかったのです。
この考え方を広めたのも、実は五井野博士です。
浮世絵を通じた啓蒙活動の結果、江戸時代について関心を持つ人が多くなり、江戸時代の文化や思想を研究・発表する人が多くなってきたためである。
この辺の詳細については、ここでの本筋とはずれるので書きませんが、是非知っておいてもらいたい事実ではあります。


明治以降、日本は西洋の思想・文化を取り入れてきましたが、その過程で、江戸時代までの循環の思想に代わり西洋的な非循環的な思想がだんだんと浸透してきたのです。
(注.ちなみに、日本と西洋がその時にまるで入れ替わったように、西洋では環境に対する考えが変わり、現在では北欧やドイツなど環境大国となっている。)


時代は下り、第二次大戦後、高度経済成長に伴う生産性の向上と使い捨ての風潮とが相まって、処理しきれないゴミが日本中に溢れるようになってきました。


1970年代に入り、とうとうゴミ問題は大きな社会問題となったのです。


これが大まかではありますが、私なりの流れの説明です。


さて、そのゴミ問題の象徴となったのは、空き缶でした。


なぜ象徴となったかといえば、中が空洞なので回収しても空気を運ぶようなものとして積極的に回収される対象とならなかったため、最も回収が進まなかったためである。
缶には「あきかんはゴミ箱へ」と書かれていましたが、守られず、至る所にポイ捨てされていました。


批判にもあるように、1972~1973年にかけて動きがあり、1973年に町田市で「あきかん回収条例」が制定されました。
このこと自体は評価できますが、この条例には罰則規定がなく、実質的には訓示規定に留まらざるを得なかったのです。
しかも、この時点では、あくまでも回収することが目的であり、回収した空き缶はどうするのか、ということまでには考えが至っていなかったのです。
そのため、集めた空き缶は、結局埋め立てるなどの方法で処分していたのです。

そこで五井野青年の登場です。

五井野青年は、もともと循環型社会の考えを持っており、回収するだけではなく、さらに踏み込んで再利用するという考えを日本に定着させようとしたのです。


また、責任の所在もはっきりとさせようとしたのです。

動画の中でも述べています。
「拾う人がいても捨てる人がいて、イタチごっこになる。生産オンリーの国と企業の考えを変える」
「リサイクルとしての形が現代では出来ていない。それがそもそもの(空き缶回収運動の)発端」
「拾うのは美観運動やボランティアでも出来る。でも回収後、埋め立てなどされている。

その責任を行政だけでなく国や企業にも持ってもらいたい」

批判者は、五井野博士が「歩け歩いて空き缶回収運動」を始めたのが1974年で、1973年に町田市で「あきかん回収条例」が制定された後であるから、単なる物まねであり価値がないと言いたいのであろうが、その言い分は正しくない。

五井野博士が活動したことにより、国、企業、行政、そして国民一人ひとりの意識が変わったのである。
生産オンリーではなく、リサイクル型の社会へ。
ゴミの処理は行政だけに任せるのではなく、国や企業や国民すべてが負担する社会へ。


今では缶には「あきかんはリサイクル」と書かれたいますが、これもリサイクル型社会へと意識が変わったことを示している。

「オールアルミニウム缶回収協会」が現在「アルミ缶リサイクル協会」へと、「空き缶処理対策協会」が現在「スチール缶リサイクル協会」へと名称が変更になっていますが、設立時は回収や対策が目的であったのが、その目的までがリサイクルに変わったため、名称もそのように変更となっている。

これもリサイクル型社会へと意識が変わったこと表している。

五井野博士が企業にも責任を負ってもらおうとした過程では、かなりの圧力がかかったと聞いている。
国においても、協力的でなかった。
また、今では街角でごみを拾っている人を見かけても、良いことをしているなと好意的に受け止めるであろうが、当時は違っていたのです。

落ちている物を拾い集めるなんて、乞食のすることだと思われていたのである。


五井野博士は企業や国の厳しい態度や、国民からの冷たい視線にも耐え、社会のために努力をなされました。

他に誰がこのような苦労をして活動出来た人がいたでしょうか。


今の若い人たちは知らないであろうが、この当時の日本は、お世辞にもきれいとは言えなかった。

しかし、五井野博士のおかげで社会全体の意識が変わり、ゴミだらけで汚かった日本が、きれいな日本へと変わったのです。


批判の部分の
「1974年に五井野正が空缶回収運動を始めた頃はすでに、空缶回収運動はブームになり、条例が出来たりして成果も上がっていた。」

との誹謗中傷の批判文について。



まず、何をもってして「ブームになり」と断定しているのか?ゴミだらけ

空き缶は散乱だらけ、国会でリサイクル法案もなく企業も行政も法律にのっとり何もしなくても良い状態。


むしろ回収運動は国民の間で定着していないからこそ、条例等で定めて回収しようとしたのである。
つまり「空き缶回収運動がブーム」になっていたのではなく「空き缶のポイ捨てが社会問題となり解決しようという機運がブーム」になっていたというのが正しい。


また、「成果も上がっていた」というのは全く逆である。
既に記述しましたが、町田市の条例には罰則規定がなく、実質的には訓示規定に留まらざるを得ず、まだまだ空き缶のゴミ問題は解決の端緒が開かれたに過ぎなかった。


だから、批判者のこの文は次のように書き換えるのが正しいと思う。
「1974年に五井野正氏が空缶回収運動を始めた頃は、空缶回収運動は条例が出来たりしてはいたが、まだまだ成果が上がっていなかった。」


その様な時に行われた五井野博士の「歩け歩いて空き缶回収運動」は、その高い精神性や音楽を使用したユニークな活動であったため、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌等のマスコミで大反響となったのである。


批判者は、五井野博士の空き缶回収運動が略歴で1974年と公表しているところに、町田市の空き缶条例の制定が1973年なのを知り、鬼の首でも取ったかのように喜んだのであろう。


『五井野正は空き缶運動で社会に影響を与えたと自慢しているが、二番煎じに過ぎないではないか。全てを自分の手柄にしようとする、とんでもない人物である』というような感じであったろう。


ところが、今まで述べてきたことからわかるように、五井野博士の空き缶回収運動と、その他の回収運動では次の点で違っている。


・他の回収運動が回収だけを目的としていたのに対し、五井野博士はさらに踏み込んでリサイクルを目指していた点
・空き缶の処理を行政だけに負わせていたところを、企業や国にも責任を負わせた点
・国民にゴミを含めた環境に対する意識の変革をもたらした点


初めにも述べましたが、五井野博士の運動と町田市の条例とを、年代の後先だけで優劣をつけることは、意味のないことである。


現在のリサイクル社会の生みの親は、五井野博士であることが、賢明な人ならば、ご理解いただけたと思います。


















                                                            
               
 
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