<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="65001"%> 人は生まれて何をなすべきか GOINO TADASHI 「五井野正画伯」






 

人はなぜ生まれて何をなすべきか・・の巻

      暗闇の低次元物理学に明かりが指し始め
  人はなぜ生まれてきたのか?今生において何をなすべきなのか?



ニュートンやアインシュタインによって失わされた生命本来の物理的関係作用の原理が地球では残念ながら失わされ(意識を喪失させることに成功)、それにより自分たちを取り囲む状況は自分たちの物質的共有認識範囲内を立ち位置にするという位置に立ち時間の費やすことは、現世利益競争になんの警告を感じることもなく因果の果を先延ばしにされて今日完全に包囲されている。

日々変わり続ける立ち位置?今はどこにあるのだろうか?それは画伯にしかわからない。久遠の・・・事の一念三千の主にしか、ガラガラポンされた世界のこれから先の未来は、今も未来も中心に存在する中心者にしかわからない。

それを理解できる人はいない。事の一念三千の発動の時が周りのすべてを実はもう取り囲んでいるからである。あと残すは、この時間のこの最後の場面にのみと迫ってきたのだと僕は知覚している。

35年間続けられた警告は、どのマスコミも学者も政治家も文化人も画白を無視し、反応しない(誰も最後の瞬間の生きる側と無限の孤独地獄の側を分ける時が出口が教えられているのに知覚出来ない)

個人の命は不思議と物質時間に得られるGET競争の世界内に埋もれていることに気づくこともなしに、支配者やマスコミや政府が文部省が押し付けてきた信じきっている危険な立ち位置を改めようとはしなかった。

自らは支配官僚側と距離を置き正しき世を作るものだと理想郷を描くものも、その結末をまったく知覚できずに支配政府と比較しての相関関係でしか自らの立ち位置を測れないのにも異次元の馬鹿さに驚愕するのだ。(ここにもアインシュタイン、ニュートンを土台とすることで害ある意識を取り入れ無害と定めたことに通じてしまう)

自ら永遠に自らを孤独の世界に閉じ込めるという風ことが迫っているのを事実として知覚できないのは、常に餌のほうを短絡思考に取って自分は成功したと頭が良いとか運がよいとかなって、何が命が存続にふさわしい生命なのかがテストされたことを知覚できなかったのだ。(聖徳太子の国づくりの冠位十二階なら現在の世界中の上の地位者が地球の最下層民となる最悪層という基準の国民の基準だ)

地球のバランス的認識から他への思いやりというこころが救うに値するかどう作用しているか?それはもし僕が宇宙人として最終審判をするなら、そこを見ていることになるだろう。たとえば地球という生命を体内と仮定して体内の細胞内で自己の物質利益を勝ち進み続け紙の暗記ゲームを掲げてしばり、他の任務についているゲームに参加しない細胞を劣化し汚染してゆく学校優劣システムは調和なく貧富の差やゴミや汚染を生む。

紙の適当なクイズ暗記を支配占有して行き勝ち組と称してなにも害を出さない自給自足民(自然豊かな国)を貧困層へ押しやる人間がいれば体内の循環や血液を汚すウイルスとして即刻消さなければならないだろう。

聖徳太子の国づくり(冠位十二階)はこういう視点がきちんと整備されている。だから暗記記述相対的優劣を紙というクイズ形式の枠内で勝った気でいるものを最悪のウイルス(最低のこころ救いがたいこころの命所持者)として最下層民と定めることになることで綺麗な体内の血液循環が保たれる。

では何が最上の民なのか、それは画伯の法華三部経にてきちんと説明してあるので、そこで学ぶのが最適だと思う。

優秀なる大学を出て僕の幼少期は隠しカメラが宇宙から自分に向けられどう裁定がくだされているのかを知覚している。

それが子供のころというのは、だれにでもあった。
それを喪失させたのが学校であることを僕は知っている。

しかも、生徒同士をさせるのだ。

隠しカメラの認識知覚。僕はずっとそう思い続けてひとりテストも白紙で出すことも自分に対しての未来の予見というより、真実に生きるべきだというやさしさから自然と行動に出てしまってきた。

いや、むしろあまりにも試験や競争で友人たちを蹴落としあう姿に僕は反対票を先生が僕を罵倒する他の生徒の中で罵倒する中においても、あるべき姿ではないと反対票を投じたかったのだ。

学校の先生!あなたは友人をこんな暗記と書き写しの単なる労働作業に埋没させ他人を蹴落としたという踏み絵をさせた心のなき者を上に置くという(ナベツネ、岸、のような自国民を売る人間が支配代理人になれる支配構図)罪に感じないのですか?僕ら純粋な子供たちに踏ませるのですか?

僕は友達が好きだったので自然にそう思ったのだ。

そういう仲良しの中でリーダーでもあった。

こんな簡単な知覚は勇気と性格の明るさを伴うので僕ほど明るい性格の子供はそういなかったので、出来ないにしても、もっと簡単な画伯から説明をされたり、法華三部経体系を読んだりすれば、さほど大きな勇気がなくても、やさしさや思いやりが普通に備わっているのだから即座に理解できるようになっているのにと思うのです。

やはり僕が学校で白紙をだしたころというのは、ある意味限界のぎりぎりまでのことだったのかもしれない。と思うようにならざるえなかった。

月刊フナイの12月号画伯の記事は、日本国民がみんなノーベル賞の科学者以下全員に説明されてきた押し付けられてきた暗記学問。太陽は数万度で燃えている(爆笑)とか地球と太陽系の関係とか?星がどのように見えるかというメカニズムが今までの学校教育のデタラメが明らかにされた。真実の太陽がお日様がさわやかに流れるように説明されていた。

   ファンタスティック!!

熱圏の崩壊は、肉が電子レンジで焼かれるようになるのだ。それがあの熱さの仕組みだったのだ。
IH調理されてしまうあの熱さだろう。

僕が子供のころから「太陽が燃えていたら夜も暑いに決まっている焼き魚の焼き面の反対側だ」と言ったりしたこともあったが、そう思わないだろうか。学校の先生は燃えていると言い張って喧嘩になっていた。

今に思えば地球人全員がなんてばかばかしいことの仕組み内で、操られてきたんだろうと腹立たしくなる。

国家の力で学校内に閉じ込めて、いい加減なことをたくさん服従させた。服従しなかった人間をも完全に支配してしまうようにやがてなるんだ。それはとてつもなく冷血な聖徳太子が国家の最低のレベルと知る恐ろしい冷血人間になれば官僚に人々を支配される恐ろしいことだ。

仏様の存在なしには瞬時にも人類は存在しない消滅図が僕には映ってしまう(正しいことよりその場その場の勝利だけの積み重ねを習慣化した命が笑顔で固定化している)のでこの世界は想像以上にとてつもないやばい世界に将来行くに違いないと子供時代に感じていた。

子供の頃は遊びの中で、調和とか思いやりとかが子供どうしで出たので、本来みんなやさしいにんげんだったのに残念に思った。


では、僕は将来?のためにどんな対策をすればいいのだろう?
それが僕が考えても考えても考え付けなかったことだ。

今回の画伯の執筆では、太陽から何が地球に注ぎ、どこでどういうことになりどうなるのか?地球という生命のメカニズムが詳細のすべてが明らかになった。これは地球で太陽は高温で燃えていて熱が注いでいると間違いだらけを教えられて国民全部が太陽に恩恵を受けて生きている毎日の中で大発表だった。

でも、日本では、文部省と学校と違うことだから無視なのである。個々の人々もそれを無意識に想念で連動して個々においても同調反応か、フェードアウト消去が自然に起こる状況を自分の中に見出すことももはや認識すら出来ないのだろうか。


画伯はさらりと言われただけだと思うが、ノーベル賞のステージやマスコミ報道の取り上げられ方。反応は取り上げ方に対しての基準に合わせての反応があるかのような状況です。
画伯の執筆は、その誌面での取り扱い程度の取り上げ方の状況に応じてのリアクションで返すという無条件の作用をするに留まるという不思議なのです。

地球という生命を人体の内部と仮定して見るなら・・・
そういう命を宇宙から見て命は生きていますか。
命として存続させても良い命なのでしょうか?

まるで相関関係の中にだけ生命の存在がなりたっていることの反応の存在という死に方を選んだと僕には思えてしまう。というだけの存在である。そんな命の反応しかしない世界の中で発せられたのだ。
これが聖徳太子がもっとも最低と定めた価値観を最上位に置いた結末の世でもあり、そういう風に培養されてきた弊害が無実の人々に影響を与えているのだ。

やはり僕が子供のころに、ここが分岐点だと思ったところでボタンを掛け違えてしまうと、もう大人になるまで毎分毎秒数兆回?掛け違うだけの蓄積ができてしまうと元に戻れないようだ。
僕が子供のころ計算したとおりに映し出されている。僕は掛け違いはしてきたけど、掛け違わなかったところにが久遠のお釈迦様が再出現すると法華経に記してあるところがいつなのか夢にたくして、そこへ印をつけた。つまり白紙で出す戦いをした。(ちょっとゴッホが耳を切るまでの気持ちがわかる気がする夢を託していたに違いないと)
これがあれば久遠のお釈迦様に、この慈善事業を・・見つけだし僕を手元に呼んでくれるかもしれない。学校の先生が間違いで僕が正しいと宇宙のすべてのガラガラポンをこの時になされる法華経に書いてあるとおりの時にピックアップして判断してもらえると僕は子供のころ計算したのかもしれないのだ。


この計算が学校の先生にはできなかったのに、地球で僕というこどもより秀才だと言えるのだろうか?僕は家族にもまわりにも学ぶとは死後まで死後の計算まで完璧なのを教育というのだと教えられてきた。

しかし、これは過去に僕がそうだったのではないこれがアインシュタイン以下では理解しにくいが、これは今の僕から過去にそのように振り分けられたのかも知れない。なぜなら子供のころ、そして今と一念三千の仏典を読んできた僕には実は知覚までついているこれが仏典の不思議であった。

つまりお釈迦様と久遠のお釈迦様とがつながり、お釈迦様の弟子達には久遠のお釈迦様に遭遇するが遭遇実はしているが、そのときはこうしてこうしてこう注意しなさいと説明さえている。久遠の画伯にも同じように注意される。まさにお釈迦様から聞いてきたことをもう一度画伯に注意されている。そして不満に思うときはお釈迦様の法華経を読めばそのときはこうしなさい。そういう時はああしなさい。と書いてある。

仏と仏が通じるこれが妙法である。と子供の頃から学んできた。
よって時間は過去から一方向から来たものではないことがわかり、アインシュタインがニュートンがぶち壊してきたことが自分の中で証明されて行く。

お金しかよりどころが未来にはすでにない人は、お金が欲しいと他の選択肢を放棄し、子供のころは間違いでも平気で言われたとおりにできるが、自分が正しことを生みたいと思っている子供にとっては点数など興味がない。宇宙に行くとか地球の問題を解決するとか、求める人は点数とか将来にお金とかを飴にされても正しい理論のほうを選択するものだ。

僕はそういう意味では、神様になることには申し訳ないがあまり興味がない
それは僕が子供のころから仏典を勉強してきた結果だが、
祖父母も家族も回りもそういう言い方をしていた。神は久遠の仏様を守護する誓約が
仏典で約束されている。

神になるより、久遠の釈尊にお目通りし、修行僧になることが
一番大事なことだと子供の頃から教えられてきた。

ましてや仏典の中に出てくる修行僧はみんな
神になることは目的にしていない。


だから仏典であり、画伯のために一部修行僧のために
残されてきた果実のみきちんと花咲き役割を遂げたことを
僕は実感した。

仏教とはこういうこと。
妙法を垣間見る
そういう世界だと今の段階で感じている。

現在の僕が
過去の僕が
画伯に学んでいる
ころから過去に降り注いでいるからこそ

そういう幼少期が
降り注がれているのかもしれない

それはお釈迦様と久遠の画伯との間は繋がれているのだから
その間にいる僕にそのような幼少期が訪れるのは
当然なことだと思う。

これがアインシュタインやニュートンが破壊して
生命の世界から消去した物理学の世界だと思っている。

しかし聖徳太子はこういう世界の中での
上位順列を国家の国土に強いたが藤原により毒殺された。

かんたんなことだ
物質を素粒子まで遡ると
意思があり思いが生命の実体の姿であることが
生命は肉体を仮に肉体が無くとも存在している。
その生命は因縁や業な完璧な形で作用反作用を
引き継いで決してリセットされずにいる。
(リセットは輪廻の最終章の時が来たときにおこなわれると
子供の頃からこの世であると僕は注目してきた、しかしこの反物質的な
輪廻の最終章を迎える学校教育に従順な生命は決して楽ではない
ところに行くことを学んできた、そのすごさも
知っているから僕は頑張ろうと昔から決心している)


それで今回の輪廻の最終章のあとに
この蚊帳の外となった命がどのような
世界に放り出されるか?
そんなかんたんな知覚が子供の頃できるためには
画伯に今学べばできたのだ。
子供のころからそんなかんたんな知覚が
今学ぶからできたのだ。

子供のころからこの輪廻の最終章の後には
蚊帳の外となった生命はどれだたけ
体感をするのかを子供の頃すでに見てきて
僕は学んだのだ。


地球という生命体が地球上で核実験や
核爆弾や原発推進やデタラメだらけ。
人ウイルスのような知の害を基本にした知ウイルス暗記ウイルスを
監視カメラでテストをされた最中、
本質的な地球を助ける命かどうかを
どっちが欲しいかをテストされて選択を金、めだち、あがめられ、
なんてのを命が欲して
そっちに反応した者どおしで待合室で
共感し合い共通点をオンオフさせて
それで時間が流れていると錯覚をしている

しかし本人達にはその知覚すらない




クリスマスのネオンに彩られた今年の師走は、
僕にはこのにぎやかさとは、また違い3D世界のような
セカンドライフのゲームステージの中の
にぎやかな光景を見るような人々に見え
そのようにも感じてしまうのであります。

それはもう出口は失っている方々の
双方向間内でのつながりを時間が流れている
と錯覚するような未来の待合室のわずかな時間なのかもしれません。

やがて来る業火の下にさらされるのだろうか。




 
 
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